伝統文化と木と街

三和総合設計

2005年09月20日 16:09

先週の金曜日に富山事務所に行ったついでに、岐阜の広葉樹市場で出会ったロクロ職人さんの工房を訪ねました。
ご存知の方も多いと思いますが、わが富山事務所所長の出身地、井波町(現在南砺市)は木工芸で有名です。町の中心にある瑞泉寺も井波彫刻のすばらしさが見ることができます。
私たちが訪れたのは、田中ロクロ工芸さんです。写真がないのが残念ですが、工房にはロクロの材料になる欅、黒柿、花梨をはじめ、おびただしい数のさまざまな広葉樹の素材がおいてありました。何の連絡もなく訪問させていただいたのですが、快くお話を聞かせてくださいました。三尺以上もある欅のお盆、手づくりのわざとは思えないほど精度の良い茶筒などいろいろな作品について一つ一つ説明していただきました。手づくりでしかできない日本の木の文化にあらためて驚かされました。その時のお話で、コクロの作品をつくるために長い間お茶の勉強をされているとお話されていました。木工芸は日本の文化とともに生きてきたのですね。
いろいろな作品を見せていただいたら、自分も一つ欲しいなあと思いましたが、購入することはできませんでした。自分の中に日本の文化とともに生きる部分が少なくなってきているからでしょう。
そのあと、井波町のはずれにある工房を後にして、井波町の中心部に行きました。今では、観光地として「木彫りの里」という道の駅に木彫り職人さんが仕事をされているのがみることができますが、実際は町の中にたくさんの木彫り職人さんやそれを支えるさまざまな職の方が営みをされているのです。
井波町は小さな町ですが、文化があり、他の町にない特色や楽しさを感じました。それに引き換え、最近の都市はどこも同じようなたたずまいで、文化的な楽しさを感じることはありません。最近の町は経済至上主義の中で存在する町です。ですからあるのは、コンビニ、マンション、ガソリンスタンド、郊外店などどこへ行っても同じ顔で、昔からある街は細い路地の中でひっそりと存在していたりします。
経済至上主義で考えれば、今の大量生産に勝てるものはいません。上述のロクロ工芸品も一品あたり3万円ぐらいもします。しかし、この値段を考えると決して高い物ではありません。職人さんの日当を一日2万円と考えると材料費を考えなくても1.5日分の価格でしかありません。あの工芸品がたった一日半でできるでしょうか。自分たちの生活を豊かにしてくれるとしたら安いものですが、便利さだけで考えると高いと感じてしまうのです。
今の、日本はお金無しでは生きていけない仕組みになってしまいました。ほとんどの方々はただお金がたくさん欲しいのではなく、豊かに暮らしたいためにお金がないと困るといった所ではないでしょうか。しかし、今の現状を考えると、お金は稼いだものの豊かな生活はどこに行ったのだろうか、100円ショップで安くて便利なものを見つけて得をした気分に浸っているぐらいではないでしょうか。
本日、ダイエーの創業者の中内さんが死去されたそうです。中内さんは昭和30年代前半に庶民の味方としてスーパーを開業されたらしいです。最初は庶民の味方の発想だったようですが、社会が進むにつれて競争が激しくなり、方向が見えなくなったのではないかと私は感じています。日本人の本質は、アメリカなどの感覚とは本来違うものだと私は思っています。一部の人々が日本の文化も忘れ、お金に執着しているだけで、多くの人の良い日本人が黙ってついていっているだけです。
日本の住宅もコスト優先だけで建設されるようになって来ています。そこに残されるものは、シックハウス問題やアスベスト問題、将来おこるであろう廃棄の問題です。企業が冨を蓄積するために、一つ一つ気がつかないような問題を住まいの中に潜ませるのです。
住まいの価格は工芸品ほどの差はありません。耐久性を考えるとむしろ安いぐらいです。
何とか住まいの世界だけでも文化性のある、豊かで将来性のあるものを残したいと考えています。