国立市のマンション判決
少し前になりますが、東京の国立市で争われていたマンションの最高裁判決が出ました。
結論としては、訴えた周辺の住民の方々の敗訴ということになってしまいました。この訴訟は、以前から周辺環境を大事にしておられた方々の意識を大事に考え、高裁では住民の訴えを認め、景観を破壊する大規模マンションの問題点を認め、上層階を解体せよといった画期的な判決でした。
最高裁に移って、法律の壁とでも言うべき、画一的な判断がなされ、法律で決めたもの意外は大切なものであっても認められないということになってしまいました。
以前から、私は建築基準法は住まいや建築物の最低基準を決めるものであって、基準法を守るとそこそこ良い建物ができたり、よい環境が守られるわけではないことを書いたり、講演したりしてきました。このことは、建築基準法第1条にはっきり書かれています。
第1条 この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もって公共の福祉に資することを目的とする。
以上のように書かれています。建築基準法ぎりぎりの建物をつくると国民の生命、健康及び財産の保護は許されるべき最低の基準しか確保できないことを表しています。しかも、最近の建築基準法は経済対策などと絡み、今まで制限されていた容積率や斜線制限などの基準より大きく建てられるような緩和規定がさまざま出てきました。
各地で問題になっているマンションは、もともと建築基準法一杯の容積率で建てるケースが多く、しかも、駐車場部分や共有廊下、階段などは容積率対象外になっているため、例えば200%制限になっている地域でも実際のボリュームでは300%以上になっていると思われます。これに対して、一般の木造戸建て住宅は容積率では100%ぐらいのことが多く、その比率を考えると3倍以上の開きがある場合が多いのです。こういった中で、住民の方々が大切に守ってきたものが「建築基準法に適合している」の一言で切って捨てられてしまっています。
日本は法治国家ですから、法律を守り、その中ですべての活動を行なうことになります。そう考えると私たちの大切なものを守ろうとすると、法律や制度そのものを変えることを考えなければなりません。地方の行政マンは法律の運用だけにしか責任を持ってくれません。言い換えると、法律違反かどうかの判断しかしないのです。そうすると、地域の人々が迷惑に思っている建物を法律に適合していると証明し、環境や景観などを破壊する側のお手伝いをし、日本を最低の制限だけが守られた社会に導くのです。
私たちは、地域の中で住まいづくりを行なっています。これからは、住まいづくりを通し、様々な人々と生活環境を守る努力を行ないたいと思っていますし、その範囲は、法律や条例、制度の決め方などまでも係っていかなければならないと考えています。