JR福知山線の事故

三和総合設計

2005年05月23日 17:45

JR福知山線の事故から一週間以上がたちました。
事故の犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
事故車両の撤去が進められ、線路や車両の分析が進められるなかで、事故の原因がJR運転手のスピードの出しすぎが主因ではないかと考えられるようになりました。
JR西日本の経営方針のあり方や運転手の責任など、JR西日本の責任追及が進められています。
JR西日本を弁護するわけではありませんが、JR各社は旧国鉄の分割民営化以来、地方の不採算路線を公益性を理由に維持させられ、一方では税金で進められる道路整備により、車社会が進められ、採算が確保できる路線は数少なくなっていると思われます。また、採算が取れそうな路線でも、都市部のみを経営基盤としている他の私鉄各社とのし烈な競争化にあり、今回のような安全の軽視や社員教育の問題などが起こったのだと思います。
こういった問題をJR西日本の問題だけだと考えて良いのでしょうか。
4月30日の京都新聞の読者の投稿欄に高校生の以下のような記事がありました。
主旨は以下のようなものです。
多くの人々が犠牲者を悼み、死を嘆き、JRを非難している。記者会見でもマスコミも責任者を責め立てる。しかし、こういう時間に追われ、ゆとりのない社会を作ったのは同じ大人ではないか。この事故の責任はJRだけにあるのではなく、政府をはじめ、現代社会を作り出した大人全員にあるのではないか。大人たちは、自分自身の手で殺した人々の死を嘆き、同じ罪を背負った仲間を非難しているのではないか。

どうでしょう。この高校生は、JR事故を悲しむのに加え、こういった現状に気がつかない大人たちを悲しんでいるのだと思います。

私達の周辺にも同じようなことがあります。
住まい手は、ローコストな住宅を求め、同じ人々が欠陥住宅をつかまされることを恐れます。努力により、一定のコストダウンは可能ですが、今の住宅産業は異常な状況にあります。低価格化の中に住まい手に見える形の売り物を出そうとすると、反対に見えないところに数多くの問題が潜むようになります。それが発覚するとシックハウスのように大きな社会問題としてあらわれますが、それはシックハウスという個別の問題として処理され、住宅を商品化し、お金儲けの手段として取り扱われていることやハウスメーカーというものの存在の問題などの根本的な問題を考えられることはありません。問題の事象として表れてくるのはほんの一部のことです。問題は見えないところに多く潜んでいます。そういう問題が表れてくるたびに、建築基準法で規制を加えていくと、法律全体を見ても、住宅の現状を見ても冷静に判断すると異常な状態になります。(異常であることに気がつかない人がほとんどですが)
こういった問題は、個々の工務店や設計士の努力では解決できません。工務店や設計士の中の多くは問題として感じていないで、むしろこういった状況を進めるのに力を貸している状況です。
社会のしくみ自体を考え直さないと解決できない根深い問題が最近では多くあるように思います。

上記のような、しっかりとした判断のできる若者がいることを考えると日本もまだ捨てたものではありませんが、そういう考え方が活かされる社会が今後おとずれるでしょうか。