大量生産
「大量生産」が日本をある意味で豊かにしたことは間違いない。住宅の世界では「大量生産」ではなく、大量発注でコスト削減にやっきになっている。
住まいを儲けのための商品と見るとその考えも成り立つのかもしれないが、そういう考え方が日本の住まいをとんでもないものにしているのも事実だと思っています。
私が参加している「木の家ネット」のメンバーの林材ジャーナリストの赤堀さんが、滋賀で開催された木の家ネットの総会の帰りに滋賀県の永源寺の木地師のふるさとを訪ねられたときの記事を読ませてもらいました。
滋賀県に住んでおりながら、永源寺町が木地師の発祥の地であることを初めて知らされました。その記事のなかに、木地師の方がお話になっている言葉が印象的でした。「数を注文すれば安くなると思われるのが一番困る」ということです。文書の中に出てくる価格は決して高くない値段ですが、一つ一つの価格は手づくりでかかる費用であって、工業製品のように同じものが多ければ手をかけずにどんどん作れるものではないということです。
これらの文書を読んで、私たちの設計も似たようなところがあるなと思いました。ハウスメーカーなどから建築確認申請の仕事を請けて、一日に何件も役所周りをすると経費が安くなって利益が上がるといったところでしょうか。ひとり一人の仕事を請けて、手づくりで設計していると、大量に仕事を請けるとじっくり考えられないことなど、あまり良いことはありません。
ところで、似たような話がもう一つあります。
私たちの仕事仲間で、木の大好きな大工の坂元さんが、ある人を通じて東南アジアから木の丸い球を手に入れようとしたときの話です。
現地で、木の玉を造っている人にこの球を作るのにいくらかかると聞いたところ、一個○○円(現地では円ではないでしょうが)ぐらいだといった。そこで、中に入っている人が、日本流にたくさん発注するから、もっと安くできないかと聞いたところ、かえって高くなるといわれたそうです。不思議に思ってなぜ?と聞いたところ、あたりまえのように、「たくさん作ったら、しんどいじゃないか。高くもらわなければやってられないよ。」ということらしいです。
日本や金儲けにやっきになっている国の常識は、全世界でみると非常識なのかもしれません。
この話を聞いて、少しうれしくなってしまいました。