常識を疑う

三和総合設計

2004年09月06日 19:09

人前で話すことは、できれば避けて通りたいと思うのですが、時々頼まれる講師の依頼を断りきれずに引き受けてしまって、あとで後悔することがしばしば。準備もさることながら、話す前のあのなんとも言えない緊張感が、あがり症の私にはだめなんです。先日も「地域材をつかった家づくり」というテーマで話をさせていただく機会がありました。いつもはバリアフリーやシックハウスなどの話をすることが多く、木についての話はいつも主人にまかせていたので、実は初めてのチャレンジでドキドキものでした。でも、少人数で話しやすい雰囲気だったので、なんとか2時間無事話せることでき、ほっとしました。話をさせていただく時に、どんなテーマでも共通して話をさせていただく事柄があります。何かと言うと「常識を疑うことをしてみてください」ということです。世の中にあることすべてに言える事かもしれませんが、特に住まいづくりのなかで考えてみてほしいのです。常識と思っていることに意外な落とし穴があり、物の本質を見失うことがあります。たとえば、バリアフリーの家。段差がないことや手すりがついていることだけがバリアフリーではありません。最初からあたかも住まい手のために、手すりをつけています、段差をなくしていますという宣伝文句にだまされていませんか?手すりが必要になったとき、どんな高さなのか、右か左か、どんな使い方をするのか、個々に症状も状況も違います。住まい手のためのバリアフリーは、必要になった、そのときに対応できるかできないかが本当のバリアフリーなのです。段差も危険なところにはないに越したことはないのですが、段差もとり方ひとつで、生活に変化がもたされ、動く気持ちを起こさせられることもないことはないはずです。小さな子供のいる若夫婦が子供が怪我をしないように段差のない家にしてくださいと希望するのは変な気がします。日本の気候風土にあっていないシロアリにも弱く、腐りやすい木でつくられた家も住まい手のための木の家なのでしょうか。健康になる家や建材と言われますが病気を治す家や建材なんてあるのでしょうか。病気になりにくくすることはできるのかもしれませんが。他にも住宅展示場でプレゼントされる品物やモデルハウスの高そうな調度品の費用は誰が負担しているんだろうとか。それが住まい手に本当に必要なものなのかどうか・・・。いろいろ考えさせられることはいっぱいあります。本当に自分や家族に必要なものかどうかというのは、自分でじっくり考えることが大切なのだと思います。価値観の異なる個人個人や家族ごとに必要なものは違ってくるでしょうが、現在の情報社会の中では、もっともっと自分で考えるいうことを大切にしていかないと間違った方向へ導かれることも多いような気がします。少なくとも一度は常識を疑ってみて、本当に大事なことかどうかを考えるようにしてみたいものです。