昨日の夕刊を読んでいて懐かしく思ったことがあります。
レジャーの欄で「のんびり汽車の旅」というものでした。
日本の100年前の行程再現というもので、100年前の日本の鉄道路線図も紹介されていました。
100年前の路線図は今と比べて全国がくまなくつながっているわけでなく、官設でつくられたものばかりでなく、私設でつくられたものを鉄道国有法という法律までつくって国有化していった歴史があるようです。
それを今JR民営分割化し現在に至っているのですが、これでよかったのでしょうか。
国有であることで、働く人がのんびりし、採算が取れないのはもちろんまずいのですが、独立で採算を取るために国としての方向性が見失われるのはもっと問題だと思います。
今日の本題ですが、この路線図をみて、昔(中学校時代)にSLを追いかけ、各地を寝袋をもってうろうろしていたことを思い出しました。
撮影した写真は今も手元にたくさんあるのですが、できたら皆さんに見ていただきたくて発表会をさせていただきます。
この写真は、鹿児島県吉松(肥薩線と吉都線の合流駅)付近で取ったものです。
春休みに暖かな九州のイメージで軽装で出かけたのですが、3月の末に雪が降り、駅の待合室で夜寝ながら震えていたことを思い出します。
こちらは広島県の呉線。
どこの駅の近くだったか忘れてしまいました。
SLの中でも王者といわれるC62型の列車を撮影しました。
このころは、まだ撮影を始めたころで、年の離れたいとこに連れて行ってもらった記憶があります。
こちらは石川県の七尾線。
確か能登中島駅の付近だったように思います。
中学生が七尾駅で朝4時ごろひとりでぶらぶらしていたら、駅前の交番所に連れて行かれそうになりました。駅の中でいろいろ質問攻めに。
今から35年ぐらい前のこと。田舎の人には、中学生がわざわざどこにでもあるSLを撮影に来ることなど理解できなかったようで、説明にたっぷり時間がかかってしまいました。
こちらは、長野県飯山線蓮駅近く。
私の母親の実家が、今話題の新潟県津南町。(雪が4m近く)
その津南町へのアクセスは長野駅で乗り換えて飯山線に乗り換えます。
その道中にある蓮駅の近くでうつしたもの。
SLは8600型という確か大正時代から活躍しているもの。
最後はちょっと北にいって北海道の石北本線、常紋信号所付近だったと。。。
北海道には全国に発売されている時刻表に載っていない駅がたくさんあって驚いたことがありました。
今から考えたら中学生で全国を、それも駅で寝たり、夜行列車で寝たり、お金がかかるので旅館で寝たことはありません。良くてユースホステル。
親もよく行かせてくれたと思いますが、今ほど物騒な世の中ではなかったと思いますよ。
ユースホステルといえば思い出が一つ。
北海道の宗谷本線の塩狩峠のユースホステル。
旅館と一緒に経営されているものでしたが、お風呂に入ろうと出かけたのですが、入ってみると混浴。中にはおばちゃん?(だったと思う)が。びっくりしたことを思い出します。その後どうしたのか忘れてしまっています。(どうしたのだろう?)
今ならユースホステル(今もある??)として認められないですよね。
SLは石炭を燃やして動きます。
石炭は地球温暖化に対してはあまり良くないのですが、私には懐かしさとともにそうは思えないのです。
どこにでもすばやく早くを求めた効率の良い電化列車と生活の必要に合せながら、人間的な顔で働いていたSL。
昔懐かしいのは、私だけでしょうか。