手持ちの素材2

三和総合設計

2006年02月15日 13:00

今日の前ブログ記事のつづきです。

私たちの住まいには、偶然に生かされた木が、もうひとつあります。
居間に続く階段を上がりきったところの手摺。




これは、設計している段階で、こんな木を使ってくださいと言ったわけではありません。
たまたま大工さんが持っておられた木を
「こんなんあるんやけど、ここにどう?」
「いいですやん!ぜひ使って!」っていう感じで使うことになったのです。
先の記事でも書いてありましたが、デザインを主張するために、わざわざ材料をしかも自然素材であるもので探すなんてことは、費用もかかるし、単なる人間のわがままなような気がします。

この手摺、とても味わいあるでしょ?
節がなんとも言えない愛嬌を振りまいてくれています。
私はとても気に入っています(^_^)v
ここに使われるためにあったような存在感の板ですが、本当なら捨てられる運命だったかもしれないものです。
使うか使えるかわからないくせ(個性)のあるものをとっておくことは、場所も気遣いも必要になってきます。残念ながら、今の社会はそういうものを捨てていかないと生きにくいものになっています。なので、このような板は見向きもされなくなってしまいます。
何にでも使えて、そこそこの性能があれば、つぶしも利くのでたくさんストックしておいてもメリットがあります。

なんか今の人間と同じような気がします。
そこそこ勉強ができて、誰の言うことにも従順になれる人がうまく無難に生きていけて、くせ(個性)のある人や勉強のできない人は置き去りにされていく。

何にでも使えてそこそこの性能があるような工業化製品は、いくらデザインしていても画一的で面白味がありません。




この板を大事にとってくれていた木の大好きな大工さんのおかげで、この木はこうやって生かされることになったのです。そして、毎日私たちの心も豊かにしてくれています。
「木を生かす」ってこんなことなのではないのでしょうか?
人もこんな形で生かしていけたら、もっといい社会になるような気がします。