違いを認め合えない日本人

三和総合設計

2006年11月30日 07:16

いじめ・自殺を考えるという題で、外国籍の子どもの教育支援に取り組む方の記事が載っていました。

子どものいじめの現状を見て、「日本には国籍を限らず周囲と違う個性を持つ人間を責める風潮がある」と分析されていました。
なるほどと思いました。身長、体重、性格、運動能力など、一般的な人と違う場合、いじめの対象となったりするようです。

日本人のものの見方を鋭く捕らえていると思いました。なかなか個性を認めようとしないのは確かに日本人の特質かもしれません。
でも、日本人の心の底には個性を認めたいという部分もあるのではないかとは思います。何をつくるにも昔の形を踏襲する。でもその中で、どこか自分らしさを出していく。そういう奥ゆかしさが日本の落ち着いた文化を創っていたように思います。

今は、そういう奥ゆかしさは消え、違いをいじめのような形で表現するようになり、その反面、別の世界では芸能人などに逆に飛びぬけた個性を求め、一部の人間はそれを追求しようとしたりする。
ようするに、落ち着きのない社会になっているのだと思います。

本当は個性がうらやましいと思う国民性などではないでしょうか。それができない反動がいじめのような形で出ているのではないでしょうか。
昔からよくありましたよね。
好きな子をいじめてみたりすること。

大人の社会がいじめの社会です。
形が言葉ではないだけです。
みんなと同じ行動をしていると生活には困らないけれど、本当に正しいことを求めて行動しようとすると邪魔されてしまう。

そんな社会の構造の縮図が子どものいじめの構造だと思うのです。
子どもたちに素直な表現や行動ができるようにするためには、まず大人の社会のひずみを直すしかないと思います。