ブログの内容について、コメントをいただいているのですが、コメント欄では充分に文字数がありませんので、もう一度住宅の性能などの考え方を書いてみたいと思います。
ブログにコメントをいただいた方のご意見では、性能などの考え方に対する建築士としての意見が不正確ではないかということです。
ブログですから、自由な思いを書かせていただいていますが、実は、正確に書こうとしてもはっきり書けないのが住宅の性能ではないかと思っています。
例えば、住宅の耐久性。
どんな建物が長持ちするのかという傾向は言えても、その建物の施工の仕方、建物の建つ土地の条件。建ってからの自然の振る舞い。
こんなことがすべて重なって、結果としてこの住宅は建てられてから何年持っているという事実があるのです。
でも、曖昧な表現ではわからないということで、品確法などでは耐久性の等級を作って何年ぐらいの耐久性がある建物だと表現することになっています。
しかし、その性能表示制度を使って住宅を供給している人々がどれぐらい本当にそのぐらいの耐久性があると考えているのでしょうか。
日ごろそういうことを真剣に考えていない住宅供給者が、何か数字で表していただかないとわからない購入者の橋渡しとして、ひとつの指標を設けているだけで、その数値などが保障されるものではありません。
私は建築士であって、法律や制度を運用する行政マンではありません。
国が決めた基準や実験室で得られた情報などで性能などを判断するものではありません。
住宅の性能などはさまざまな事象が組み合わさって実際の性能として現れてきます。
ですから、いろいろな基準でしか判断できないと物事の本質を見失ってしまうことになります。
建築士としての重要な能力は判断能力だと思います。
法律や制度のみにのっとって答えを出すのではなく、さまざまな事象や内容を総合的に判断する必要があるのです。
物事には確かな法則があります。しかし、その法則はひとつひとつ細かな事象の中で成り立っているもので、他の事象との組み合わせの中ではなかなかうまく説明がつかないものがたくさんあります。
法律や制度はそのあたりをスパッと切ってしまって、わかっている内容だけで物事を決めようとします。
それはそれを運用する人たちが行政マンであって技術者や職人ではないからです。
判断した内容を自分で進めるわけではなく、物事の判断をあまりよくわかっていない人たちが盲目的に信用して運用するから、間違いないことだけを制度化するわけです。
そうすると今までプロの中で通用していた常識は制度外になってしまったりすることもあるのです。
住宅の性能などを正確に判断するためには、今までの経験や知恵、研究機関の実験値なども必要ですし、職人さんたちの考え方なども重要です。
いろいろな書物から得る知識だけではなく、実大実験に立ち会ってみたり、住宅以外の研究に興味を持ってみたり、できるだけ現場に足を運んで実際の施工をみたり、大工さんをはじめとする職人さんたちといろいろ話をしてみたり、そんなことの総合が私の判断基準となっています。
そういう判断ですから、「○○だと思います」としか表現できませんが、その「思います」という表現には、自分の建築士としての日ごろの努力をこめています。
私が書いているブログは、私の思いを表現する手段です。
このブログを見ることで、住宅造りの細かな技術の参考にしていただこうとは思っていません。
設計という仕事は、このようなスペースで書ききれないほどの大変な仕事です。
私が今まで知りえた知識を持って、実際仕事を依頼していただいた方に時間をかけて形にして行っているのが実情です。