労働時間問題に思う

三和総合設計

2007年02月07日 07:36

今、労働時間に関する問題が取り立たされています。

ホワイトカラー・エグゼンプション。残業代ゼロ制度なのか。それともそうでないのか。
月45時間、80時間以上となる残業については割り増しを考えるとか。

労働と賃金。非常に大切なものですね。
しかし、安易に考えると大切なものを失ってしまいます。

昔の話ですが、設計事務所に勤務する若い設計士が、午前2時ごろに家庭の用事で周りの設計者に気を使いながら「お先に失礼します」と申し訳なさそうに帰りましたと話していたことを覚えています。残った人は徹夜なのでしょうか。設計事務所ではそんなことが当たり前に行われていることもあるようです。

そういう中で、残業代を割り増せばいいじゃないか。ホワイトカラーは対象外だよ。働きたいだけ働けばいいじゃないかなどとなりそうですね。

結局、制度の運用が都合よくされ、働くものの条件の改善にはつながらないと思います。

そもそも、今の世の中は何でも安くなくてはいけないということになっています。
ですから、きっちりした仕事をしようとする人でも価格は「安く」を求められてしまいます。
でも、時間や手間をかけずに本当に良いものはできることは決してありません。安くて良いものに見せようとメディアを使ってガンガンコマーシャルを行なって消費者にすり込みを行なうという手法が用いられます。

結局、メデイアの力には勝てずに、ちゃんとした仕事をしようとしている人も、安くて早い側に取り込まれていくか、食えないとはわかりつつこつこつと仕事を続けるか、金持ちの道楽でしかありえないニッチな部分を目指すかということになってしまいます。

こういう中で労働時間の制度が変更されるということは、ちゃんとした仕事を落ち着いてすることはしてはならないというようなものです。
国民全部が安くて良いように見えるものづくりに協力し、それを得て満足し、そういった中から生まれる負の部分に多額の税金を投入され、税金の無駄遣いに腹が立ちながらも仕方がないかと思う社会に突き進んでいるように思います。

昔の技術を売り物にしていた日本はどこへ行ったのでしょう。

以前にもブログに書いたかもしれませんが、宮大工の棟梁が弟子にはお金を払ってはいけないと言っておられたことをいつも思い出します。

お金を払うから未熟な弟子でもお金を稼げる仕事を探す。
そうするとその弟子の技術はいつまでも上がることはない。
仕事がなければいつまでもノミやカンナを研いでおけといえるのは、お金稼ぎだけを考えるのではないからだとおっしゃっていました。

今の社会は、労働者の技術をあげることよりも若さと馬力に期待するだけです。
何の知識も経験もない若い社員を度胸試しのように企業まわりをさせ経験をつませるというようなことが平気で行なわれています。
自社の商品の知識すら満足でない社員が営業に来ることもしばしばですが、そんなことが当たり前の社会になってしまっています。

商品は一部の研究部門が開発し、後は営業力(押しの一手)で売って来いといった感じです。

このままでは日本は3流国になってしまいます。
本当に技術を売ることができる国、国民にもう一度再生できないかなと思います。

そういったことが可能な労働制度。働くものの意欲が高まる労働制度。
そんなことをしっかりと考えた国の運営をして欲しいと思います。