「悪貨は良貨を駆逐する」ということわざがあります。
良質の貨幣と悪質の貨幣が両方出回っている時、両方を持っている場合、まず悪貨から使うことを考え、良貨を手元に残そうとする。
そうするうちに世の中には悪貨ばかりが流通するようになり、それが世の中にはびこるようになるということである。
今の日本はこのような状態ではないでしょうか。
このことわざにぴったりした話しではないのですが、世の中に出回っているものはあまり良質でないものばかり、でもそれがあまりにも多く出回っているとそれが当たり前のようになり、世の中の仕組みがそれにあった形に変えられてしまうのです。
ものづくりで本物をつくる人。
それを売って生活することが大変難しい状態です。
あまり良質でないといってもそこそこの出来ではあるし、その製品が環境などの問題を抱えていたとしてもそれをきちんと税金などで添加する仕組みは日本には皆無といっても過言ではありません。
本物はこれだ!、これが良いと思ってもついつい安いほうに走ってしまう。
そうすると、まじめにこつこつ良いものを作ろうとする人は食べていけない。
技術のある人はお金がもうけられるところで勝負する。
例えば、芸術性の高いものを作ろうとする。
するとますます一般の方々から遊離し、一般の人に手が出ない製品となってしまう。
悪循環ということです。
今の住宅産業がこういう状態でしょう。
昔から、住まい手のためにこつこつまじめに作っていた大工さんは仕事がなくなってきています。
でも、何とか自分の技術を買ってもらおうと頑張っている人は、ますます特化した仕事に突き進んでしまう。
地域の木材を使った住まいといいながら、地域の普通の人が住めないぐらい贅沢な木の住まいを作ろうとする。
そういった住まいが好きな人はある程度いるし、そこまで頑張る人はそんなにいないので頑張った工務店などは何とか食べていけるのですが、きちんとした住まいを普通の住まい手に供給するといった目標はまったく達成することができません。
世の中には何か怪しげなハウスメーカーやローコスト住宅ビルダーの建物ばかりがどんどん供給され、いい加減な建物を取り締まるために、今回のような建築基準法の改正などが行なわれたりします。
いい加減な住宅を供給しようとする業者がはびこるため、それを規制する法律をつくる。
その法律は悪者を取り締まることは出来るが、良いものを正当に評価することができない。
つまり良いものを良いと判断する仕組みがつくれず、悪いものを悪いと判断する仕組みばかりになってしまうのです。
こういった中で職人たちは何とか自分の思いを成し遂げようとするのですが、いつしかそれは住まい手のためではなく、自分のためだけになってしまっている場合も多いと思います。
普通の人が普通の人のためにまじめにものづくりを行い、それが安定した豊かな生活ができる国づくりに役立つ。
そんなことが出来るようにならなければいけません。
そんな夢のような話と思う人も多いと思いますが、そういう考えになること自体がすでに悪貨に駆逐されている状態ですね。
多くのお金を握ることが大事なのか、それとも幸せに暮らすことが大事なのか。
もう一度ゆっくり考えてみれば簡単にわかることです。
みんなで良貨を使うことが悪貨を駆逐する唯一の手段です。