志賀越道
今日の新聞に、「みち」の風景という題で、旧山中越えについて載っていました。
大津市の滋賀里と京都の北白川を結ぶ旧道は平安時代から利用されてきたそうです。
私のおじさんも中間にある山中町に住んでいましたが、親父が小さいころは、今の山中越えの道路がなかったため、古い山道を通っていたと言っていたのを思い出して新聞を見ています。
この道の滋賀県側は滋賀里ですが、今、私が住んでいるところと、4年前まで住んでいたところの中間地点の山際です。
このあたりには、天智天皇が建立したという「崇福寺」があったり、小さな石仏が山の中にあったり、子どもながらに「なんでだろ」と思っていましたが、重要な交通路だったのですね。
小さなころ遊んだ記憶や、大学で学んだ建築士の中に紹介される「崇福寺」などがこの歳になってやっとつながってきました。
少し前にも書きましたが、最近、安土で仕事をさせていただいていますが、滋賀県の歴史に触れながらいろいろな思いを感じるようになりました。
世の中は、そんなことからどんどん遠ざかっていきます。また、歴史的価値は考古学的に重要なものだけに注目が集められていますが、歴史というものを大切にして、将来を考えることが大切なのではないかと思っています。