重文景観第1号の水郷での舟の河川不法占用

三和総合設計

2006年10月15日 07:47

近江八幡の水郷が国の重要文化的景観に選定されたことは以前、このブログにも書きました。

その水郷に係留している舟が河川を不法専用しているとして県から警告を受けているようです。
この地域では、昔から田んぼに行くのも、ヨシ刈りに行くのも舟を使って暮らしてきたそうです。重要文化的景観についても、指定の基準は「人々の生活や生業及び当該地域の風土により形成された景観地」としているそうです。
そう考えると、昔から地域の住民が利用してきた舟に問題があるはずがありません。

結局、今回警告をするきっかけになったのは、「県プレジャーボートの係留保管の適正化に関する条例」が施行されたからだそうです。
重要文化的景観の一部である舟であっても、条例に違反しているということだそうです。

おかしいと思いませんか。
いつものように行政批判になってしまうかもしれませんが、私から言わせれば、条例が人の生活に対し違反していると言いたいです。
そもそも法律や条例は、問題を解決するために作られたものです。それが、新たな問題を引き起こしたり、問題でないものを問題としたりすること自体が大きな問題です。

行政の方々も、そのセクションで頑張って仕事をされているから、こういう風に書かれるとムカッと来るかもしれませんが、頭の中に少し本来の目的と言うものを頭において欲しいといううことです。
条例に違反しているのを取り締まるのが仕事かもしれませんが、そのもっと奥には、社会にとってあるべき姿を求めるのが基本だと思うのです。
ですから、一生懸命頑張って仕事をしても、かえって問題が起こってしまうことがあると考えて欲しいのです。

今の日本の社会がどうもおかしいのはそこにあるのではないかと思っています。
他の国に比べて治安も良いし、生活もしやすい。それなのに何かおかしな国、それが今の日本じゃないかと思います。
ヨーロッパ各国は日本よりさまざまな問題を抱えていることも多いと思いますが、ものの考え方は筋が通ったところがあるように思います。

悪者がいる。それに対して法律や条例をつくる。悪者は減ったが、昔からあるものまで規制を加えられ存続できなくなる。
また、法律の穴を狙って、商売したり、金儲けに走るやつが出てくる。
目に余るようになると、また、法律や条例をつくる。また、適合しない部分が出てくる。
それを管理する行政は、ものの本筋を終えなくなってしまう。

こんなことの繰り返しではないでしょうか。
なんとか、もうすこし無駄な動きをせずに、本来どうあるべきなのかということを真ん中に据えてものを考えていくということはできないのでしょうか。