今頃そんなことを言っているのかといわれるかもしれませんが、日本の食品の添加物はひどいものですね。
マンガ「美味しんぼ」ってご存知ですか。
最新刊を昨日買って来て読んだのですが、日本の食品の添加物について書かれています。
マンガですから、少々誇張表現している部分もあるのかもしれませんが、今までの中味を見ていると、それなりにちゃんとした根拠で書かれているように思っています。
保存のための添加物ならイザ知らず、美味しそうな色に見せるためのものや、ある味を添加物だけで作る方法など、いろいろ書かれていました。
そして主人公たちは言います。
「手間暇かけてできる味が、今、日本で流通しているような値段で出来るのがおかしいと感じなければいけない」と。
食の安全は、中国食品だけではない。日本の食品添加物も同じことだし、それを疑問を感じないで受け入れている日本人そのものに問題があるのだということです。
住まいの話と同じですね。
ちゃんとした材料を使い、ちゃんとした職人が、丁寧に住まいを造る。
出来るだけぜいたく品を使わずに、しかし偽者や問題のあるものは使わない。
そんな建て方をしても、建物の坪単価は少なくとも60万ぐらいになってしまいます。
それを坪25万などといった宣伝がされたりします。
その宣伝にはいろいろからくりがあり、実際はその値段では出来ず、坪45万から50万ぐらいかかるそうですが、それでもまだ安い。
職人の手間を極端に省いたり、食品添加物と同じく化学物質を多用した建材を使う。
健康被害があるからといってホルムアルデヒドを使わず別の化学物質を使う。
こういった建材を使うと、扱いが楽だから職人の手間も安くつく。
こんなことが、住宅の世界でもまかり通っています。
こんなことも食品添加物と同じように、受け入れ側(住まいを発注する人)の問題でもあると言えますね。
システムキッチンなどにはすごくお金をかけるけれども全体としてはローコストほど良い。
こんな考え方で住まいを造りたいと考えるから、それに供給側があわせていると考えても間違いはないと思います。
一生使う住まいが、賃貸アパートに住むのと変わらないぐらいの費用で出来るはずがありません。
賃貸アパートは一時的に住むことを考え、良い材料は使われていませんし、丁寧な仕事がされているとはいえません。
所詮、建主がお金儲けをするために造っているものです。
そんな費用と同じような値段で、大切な我が家が作れるといわれているのに疑問を感じないような国民になっているのです。
さて、どうしたらよいのでしょうね。
食品の世界でも、住まいの世界でもそのあたりはしっかりと気づいている人もいます。
その方々は食品添加物の多いものは買わない。
家を建てるときは手づくりで自然素材を使った住まいを建てるということになるのですが、それだけで良いのでしょうか。
もちろん自分がそういったものに手を出さないという個々の動きが基本ですが、そんなことだけでは、食品添加物や化学物質建材などは知らず知らずのうちに、避けられないものとなってしまいます。
社会全体がそういったものにまみれたものになり、値段もそれが基本になり、まともなものは多く流通することは無いのでより高い値段になってしまいます。
そうなると一部の富裕層でそういった知識がある人のみがまともなものに出会うことができ、お金が無ければそういった問題に気づいたとしてもどうしようもないということになってしまいます。
食品添加物問題に気づいている人の多くは、私はそういったものを食べないようにしていると言う人が多いと思いますが、もう一歩進んで、食品添加物を積極的に排除する動きに協力することまで考えて欲しいなあと思います。
住まいも同じことが言えます。
これは供給側の話なのですが、伝統的な住まいを造っている人の中には、近年建てられている住まいを良くないものと考え、自分だけはそういった仕事に手を出さないというスタンスの方が多いのです。
それが基本なのですが、もう一歩広げて、今の住まいの問題点を一緒に考えることは出来ないかと思います。
ローコストの住宅が住まい手の方に求められるのには一定の理由もあります。
社会全体がそうでないとうまくいかない仕組みになっているのです。
そういった仕組みに巻き込まれないような人ばかりを集めて、自分たちの腕を披露しても日本の住環境は良くなりません。
同時に、日本はそんな裕福な状態が長く続かないでしょうし、今必要としていただいている理解層もどんどん減ってくると思います。
長い歴史のなかで築かれてきた技能を、庶民住宅のために使う必要があるのではないでしょうか。
そうでないと、庶民は毎日食品添加物まみれのインスタント食品を食べ、ごく一部の富裕層が楽しみのために豪華で安全な食品を食べるといった感じのように、庶民は耐久性の低い化学物質まみれの住まいに住み、一部の富裕層が道楽で伝統工法の住まいを造るということにならないでしょうか。
私たち技術者のもつ技術は国民のためのものです。
それを活かして初めて技能が活きると言うものだと思いますが、いかがでしょうか。