もし新聞がなくなったら・・・

三和総合設計

2008年04月16日 09:37

満開だった桜もあっという間に散りましたね。
昨日、外に出掛けたときに見かけた桜は、咲き遅れた花と葉っぱが混在するする姿でした。
次は新緑の季節。
木々すべてが輝いてくる景色が楽しみです。

今朝の新聞に「もし、新聞がなくなったら」という記事が載っていました。
新聞離れが進んでいるようです。
定期購読をしない人が99年では7.5%だったのが昨年では13%に増え、10歳から29歳で全く新聞を読まない人は6年前22.3%が昨年は47.7%にまで増えたそうです。

毎日新聞を読まなくてもネットやテレビでニュースの情報を得られるので、新聞はいらないといったところでしょうか。

走り読みしかしない私でも毎朝新聞を読まないとなんだか気持が悪い。
若いときからのくせ?なので、そうなったみたいなところはありますが、活字を読むということは、そのことに対して正しく理解し、考えるといったことを自分のペースで同時にできるので、それが私にはしっくりくるのかもしれません。
興味あることは、余計にその過程がないと物足りなく感じますし、新聞にはそういったことができる記事を求めています。
もうひとつ、新聞の楽しみは、自分の知らないこと、気がつかなかったことなどを思わず発見し、知ることができること。このことの方が大きいかもしれません。
おおげさかも知れませんが、世界が広がるような気になります。

テレビの情報はあっという間に通り過ぎてしまいますし、後戻りして考えることもできません。ネットの情報は画面上に場所は変わりますが、それなりに活字を読む動作と同じようなことができますが、記事は端的で深いところまではなかなか到達できてないように思えます。深いところまで情報を得ようとするとそれを探すのにかなり時間がかかったり、みちけられなかったり。私にとっては、新聞に比べて理解、考えることが短時間でしにくいと感じています。それに自分から求めない、気がつかない情報を思わず発見できるという楽しみも少ないような・・・・。

新聞がなくなったら・・・・なんて考えてみたことがなかったのですが、最近の活字離れを見ているとそんなことが起こるかもしれないなと思います。

個人的には新聞はなくならないで欲しいですけど・・・・

テレビやネットの情報、新聞の情報、いろんなメディアがありますが、それなりにそれぞれの手間がかけられているはず、その手間が生かせるような工夫をしてほしいですし、私たちもそれをうまく利用できるようになりたいものです。