燃料高が物価全体を押し上げようとしています。
今の社会では、燃料高は輸送コスト増つながり、さまざまなものの値段を押し上げていくのです。
一方、地球温暖化問題は待ったなしという感じになってきました。
サミットでの主要な課題がCO2削減50%らしいですが、今の社会の仕組みを続けている限り、50%減はもちろん、数%でも減少させることは難しいようです。
燃料高と地球温暖化。両方を考えると答えはあるのです。
地産地消。つつましい生活により実現が可能になります。
燃料費が高くなり、海外、国内でも遠くから輸送するよりも、地域で作ったものが競争力をもつことが出来れば、そういった社会作りが可能になり、地球温暖化が防止できるのです。
しかしながら、その過程が大変ですね。
社会の仕組みは大量生産、大量消費、海外生産により成り立つ仕組みにどっぷり漬かっています。
日本の主要産業である自動車も、地産地消の社会にはあまり必要の無いものになってきます。
社会が地産地消の社会に移行する間には、失業問題など解決すべき問題がたくさん出てきます。
また、そういった社会の実現のためには、企業は社会貢献による対価を得るような形でしか生き残ることは出来ません。
しかしながら、お金儲けを追及しようとする企業はいつまでもなくならないでしょう。
江戸時代は自給自足、地産地消の社会であったと言われています。
なぜ、それが可能であったかというと、鎖国により、他国から物が入ってこなかったという現実があったのです。
ですから、自給自足、地産地消の社会を実現しようとすると、企業活動の制限、海外からの輸入の制限などが必要となります。
それをうまく進めることが出来るでしょうか。
国産材を活用するとき、一番問題となるのが海外から入ってくる輸入材の存在です。
社会全体が安けりゃ良いという仕組みになっている以上、国産材の利用が必要であるといっても、なかなかそれを進めることは難しいのです。
競争をやめ、共存を考える。
こういう考え方のベースが必要なのですが、今の社会では誰かが出し抜こうとする社会なのです。いや、出し抜くことが利益を生むと考えられているのです。
工業の技術を革新し、省エネの製品を作っていくことは必要なのですが、ものの総量を規制しないと意味がありません。
低燃費の車が出来ても、3ナンバーの車が増えては意味がありません。
みんなが軽自動車に乗るようになったとしても、車の台数が増えると意味が無いのです。
地球温暖化に対応する社会づくりを考えたとき、燃料高はむしろ良い機会といえるのですが、国民が大きな苦しみを感じないで、そういった社会に移行していくためには、みんなが同時に、しかも冷静に行動する必要がありますね。
そういう社会づくりを誰が引っ張ってくれるのでしょうか。