生産性のある暮らし

三和総合設計

2009年07月16日 10:17

おはようございます!
今日も朝から暑そうな気配ですね。

番犬「壱」の朝の散歩当番の主人が、昨日から東京出張。
なので、私が・・・・。
暑くなる前に行こう!と思って、起きてすぐに出たものの、6時過ぎではもう暑い
体も頭もまだ寝ている状態に暑さはこたえました。。。。
おかげで目が覚めてすっきりです

先日、琵琶湖博物館の方と

昔と違って、暮らしで生産することってなくなったよねー。
食べるものも、着るものも、住むところも
出来る限りは自分たちの暮らしの中でしていたものね。
生産性のない暮らしってしあわせなのかな・・・・。

暮らしでものをつくることをもっとしていったら、本当にエコになるのにね。

そうだね。もっと暮らしで生産することの意味を知ってもらわないとだめだよね。

こんなことを話していました。

暮らしだけでなく、仕事も同じ。
生産性のない仕事の方が、収入が安定して社会でも認められる感じになって、
その方がしあわせになれるようかの教育があって、
みーーーんながそんな仕事ばかりに着いて・・・・

結局今の社会が出来上がった。。。。

そして、生産の現場を知らない人たちでいろんなことが決められていく。
正当に頑張っている人はその決まりごとに苦しめられていく。

そうすると、今まで暮らしの中で守られてきた文化や人の心、モラル・・・・
そんなものがどんどんブチ壊されていく。

目に見えて壊されていくのなら、多くの人が気がついてストップかけるかもしれないけれど、
それはあたかも正しいこと、みんなのしあわせをもたらすという着物を着て、静かに静かにジワジワと壊していくのです。

それを決めている人たちは、そんな罪の意識は全くなく・・・・・いいことをしていると自負している。


私は、設計の仕事をしていて、いつも「自分の手でつくれないこと」のもどかしさや後ろめたさみたいなものを常に感じながら仕事をしています。
時には、虚しさを感じることもあります。

だからこそ、少々しんどくても、
少しでも物をつくることに関わりを持ったり、つくる人と話をすることを心がけています。

そう感じながら仕事をしているからこそ、見えてくることや自分が考えなければいけないことが分かってくるような気がしています。(言い訳かもしれませんが・・・)

生産性のない暮らしを生産性のある暮らしができる社会に変えていくことは、かなり困難でしょうね。

でも、少し目を向ける角度を変えてみるだけで、大切なことを失わないで済むかもしれないと思うのですが・・・・。


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