昔々・・・

三和総合設計

2012年02月16日 14:30


今朝の新聞の一面に我が家のすぐ近くのことが大きく取り上げられていました。

南志賀廃寺跡の近くで、「錦寺」と刻印された陶器片が出土したとのこと。
このことで、南志賀廃寺が、昔、琵琶湖畔を戦場にした藤原仲麻呂の乱で、官軍に協力した「錦部寺(にしこりでら」だった可能性が高まったそうです。

廃寺跡は、子供たちが遊んでいた場所。
田舎の町並みの中にぽつんとある公園で、真ん中に礎石があるだけのあまり人に知られてない場所です。

見つかった陶器片は、平安京に製品を供給していた京都の窯のものだそうで、寺自体か平安京の貴族が注文したらしく、奈良の朝廷をゆるがした乱の鎮圧に協力した錦部寺の信徒らにご褒美で贈ったのではないかと。
天智天皇の大津宮の近くに創建されたお寺。平安末期まであったそうです。

南志賀廃寺の元のお寺の名前はずっと不明だったようなので、これではっきりしてきたのかな。

それにしても地元(といっても主人の生まれ育った場所)には、かなり古い時代の跡がさりげなくいっぱいあります。
古墳時代の百穴古墳、鎌倉時代の志賀の大仏、今回の飛鳥時代の崇福寺、大津京寺院の瓦工房だった榿木原(はんのきはら)遺跡・・・・あっ、そうそう、以前にもこのブログで紹介した天智天皇皇后を祭った倭(しどり)神社もほんのすぐ近くに。

古墳時代から飛鳥、平安と歴史の表舞台を見つめてきた町。
はるか遠い昔々なのですが、当時と変わらない場所やものがどこかにそっとあるではないかと期待してしまいます。そんな歴史深いところに住んでいるという実感があまりなく暮らしているのですが、そう思いたい気持ちに駆られるのはなんなんでしょうね。

今回の発見もそのひとつ。昔々の出来事が何かを語ってくれているような気がします。

その時代の人たちが今の風景を見たら、どう思うのでしょうか。

壊したくないものや変えたくないものは、もっと大事にしよう。
壊さなきゃならないものや変えなくちゃならなくなったものは、前よりも少しでも心に響くいいものにしよう。

そんな気になった朝の記事でした。


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三和総合設計は、Forward to 1985運動に賛同しています。


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