美しい自己主張

三和総合設計

2012年04月12日 18:48

今日はポカポカ陽気でしたね。この暖かさできっと桜は一気に満開になったのではないでしょうか。

先日、端材工房の出店で四日市まで出かけました。
その帰りは高速を使わず、下道で帰ってきました。
せっかくなので、途中で旧道に入り、関宿の町並みの中をすぃーっと車で素通り。

夕方でもうすぐ暗くなるという時間でしたが、昔ながらの町並みを見る事ができました。
どう表現したらよいのかわかりませんが、回顧主義的につくられた町並みではない美しさにちょっと感動。
電柱こそわざと埋設されたのでしょうが、建物は昔のままのちょっと古臭く(ぼろく)なったものや手を入れられたものなどが混在。でも古いものと新しいものの区別がくっきりあるわけでもなく、一体感がある。
新しいものの自己主張もさりげないし、朽ちている部分もさりげなくて、どっちもさりげないのです。
(表現がうまくできない・・・泣)
とてもいい雰囲気でした。

この町並みを見ながら、なんで現代の町並みは美しくなくなったのだろうと考えさせられました。
同じ気持ちが根底にあれば、現代なら現代なりの美しい町並みがあってもいいはずなのに。
残されている数少ない昔の町並みだけしか美しいって感じないって、とても悲しいな罪を犯しているなと思いました。

昔は奇抜なものは嫌、隣近所の同じでないと・・・という風潮があり、半強制的に同じような建物が建てられ、統一感のある町並みができていた。
そのみんな同じというのが、おかしい。みんな自由なんだ!と時代の流れが変わり、自由な自己表現が認められるようになる。
そうすると、自由なんだから自分の思うようにしたらいい!
みんなと同じなんておもしろくない!
少しでも人と違うことがステータス!となり、いろいろな建物が建てられるようになった。

建物で自己主張!企業は儲ける為に少しでも目立つものを!と奇抜な色合いや大きさ、変わった形で勝負。
住まいもメーカーなどのセールストークの固まりのような住まいが魅力的に見えたり、奇抜なものが受け入れられたり。安くても他と違うもの。昔とは違うものが求められて・・・・。

結局は自己主張の道具のような建物が次々とできていき、それが町並みをつくる。

自己主張もまわりのこと、まわりの人のこと、将来のことなどいろんなことをひっくるめて考えた上でのものならこんなにひどくならなかったのではないでしょうか。

俺が、私が、しあわせならばみんなもしあわせなはず!
俺が、私が、みんなにもてはやされたい!うらやましいと思われたい!
自分の存在価値をみんなに認めてもらいたい。

こんな気持ちが表立って見えなくても、自分で気づいていなくても、奥底にあるとどうなるか・・・・。

確かに昔のようになんでも右に倣えが正しいという考え方には抵抗がありますが、
現代のような俺様自己主張はもっとひどくて醜いような気がします。
意外と知らず知らずにそんな風になってしまっているのではないでしょうか?

自己主張するなら、
まわりのこと、まわりの人たち、未来のこと、みんなひっくるめて考えたい。
もしかしたら、昔の人たちはそれがしっかり根付いていたのかもしれない。
まわりのもの、人、未来の幸福を考える自己主張。

そんな美しい自己主張ってないものでしょうか。

できたら、そんな風に生きていきたいなと思います。
(ちょっと遅いかもしれませんが・・・笑)
知らず知らずに俺様自己主張していなかったか、自問自答しています。



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三和総合設計は、Forward to 1985運動に賛同しています。


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