2006年10月18日

命日

今日は、私が毎年今頃になると心が少し引き締まるお話しを。
ちょっと暗めのお話しですが・・・。

一昨日の16日は、私のすぐ下の妹、典ちゃんの命日です。
妹は私が5歳の時に3歳で亡くなりました。
今でも妹が亡くなった日のことは鮮明に覚えています。

私と妹はいつも同じ布団の両側から入って寝ていました。
その日の朝も足元の方では、妹は起きていて布団の中で折り紙か何かをしていたように思います。私はまだ眠くて半分起きているような寝ているような感じでした。

しばらくすると、母の「陽子!陽子!」という声が聞こえ、何か胸騒ぎがして飛んで起きて行くと、妹が母の腕の中で痙攣していました。ひきつけを起こしていたのです。
妹の口から血が出ていたので、妹が血を吐いている!と思って私はびっくりして・・・・。
あとでその血は、母が妹が舌をかまないように口に指を入れていて、強く噛まれて母の指から出ていたものだと知りました。
家には電話も何もありません。父も入院中でいません。
「近所のおばちゃんに頼んでお医者さん呼んでもらって!」母に言われ、飛んで頼みに行きました。そのあとは歩いて10分ほどのところにいる祖母のところに知らせに行ってくれと言われ、必死で走って行きました。
何がなんだかわからなくって、とにかく急がなきゃと思って走っていました。
その間に妹は亡くなっていました。

普通ならひきつけを起こしたぐらいでは死ぬほどのことはないのですが、妹は病気でとても強い注射を一日置きぐらいにうたれていて、そのため心臓が弱っていて心臓が耐えられなかったのです。
ひきつけの原因は、おしっこを我慢させたからと母は言ってました。
そのころ、家には洗濯機もありませんでした。
朝早くから母は、生まれたばかりの弟を背負っておむつを
たらいで洗っていたのです。
妹が「おかあちゃん、おしっこ」と言いに行ったのですが、手が離せなかったため、「もうちょっとだけ待って」と言ったら、少ししてひきつけを起こしたそうです。

既に母の腕の中で息絶えていた妹ですが、一途の望みをかけてお医者さんが来るのを今か今かと待ってました。
かかりつけのお医者さんがスクーターで来たこと(すごくゆっくりに見えました)、心臓に注射をしたりしていたこと、倒れて寝かされた布団が妹のおしっこで濡れていたこと。みんな覚えています。

みんなが慌しくお葬式の準備をしている間、表の道で座り込んでいたのを覚えています。空を見たら、からすがいて、それを見ながら七つの子をずっと歌ってました。
この時初めて死ぬということはどういうことなのか幼いながらも考えたと思います。

そのあとのお通夜やお葬式の記憶は何故かなくて、覚えているのは親は行けないからお前がちゃんと見送るんやと言われて行った火葬場からです。最後のお別れをして炎の中に妹が入って行くのを見てました。小さな体なのであっという間に骨になって・・・・。
その骨を拾うように言われましたが、みんながお箸で拾っていたのに祖母が素手で拾えと言うので、いやや!と言って遠くまで逃げてしまいました。
今ではそれがちょっと後悔です。

3歳にしては妹はとても聡明で、ひとりで留守番もできるし、母と一緒に買い物に行っても貧乏暮らしを気遣って、「おかしはいらんしな、今度でいいしな」と欲しくても自分から我慢できる子でした。私とは大違いです。
幼稚園に行くことをとても楽しみにしていたのに。
時々、なんで私が生きてるんだろうと思うこともありました。
いつも一緒で、いつも二人で遊んでいました。
妹が出来なかったことを私は出来てると思うとなにかしら罪を感じたりすることもありました。
でも、そんな妹の死は、私に常に何のためにどのように生きていくのかを人より早い時期から、人より多く考えさせてくれました。
少なくとも一年に一度は、何が本当に大切なことなのかを立ち止まって考えさせてくれます。

最近、小さな子どもが亡くなる事件や子どもの自殺のニュース、欲に任せた行動をよしとする情報がたくさん耳に入ってきます。
もっともっとみんなが、何のために、どのように生きていくのか、何が大切なのかを考えてほしいと思います。答えのない問題ですが、考えれば少しは人にやさしくなれるし、少しは自分に強くなれるように思います。

私もそんなに人に自慢できるような偉い生き方をしてるわけではありませんが、考えることはやめないでいこうと思います。
わがままでなげやりになることもあります。でもなんとか立ち止まって考えてみようと思います。
苦しくてしんどいですが、なにか見つけられるような気がします。
考えないほうが楽に生きられると思いますが、何も残らないような気がします。

典ちゃんの声は忘れてしまったけど、くりくりした澄んだ目は忘れることはできません。
いつもあの目で心の中を見透かされているような気がします。
こんなことを考えることが、妹のいちばんの供養になるのかなと思いながら、今年も命日が過ぎました。

ちょっとしんどくって、つらくなることもあるけれど改めて頑張らねば!と思います。



Posted by 三和総合設計 at 09:10│Comments(1)
この記事へのコメント

当時のことをこんな詳細に聞いた?こと初めてでした。
職場で拝見し、大号泣しそうでした。(書いているうちからまた・・・)
職場の周りの人には、気づかれたかもしれませんが・・・・・
が、いくつになっても、利口になれない弟です。(恥)

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COMMENT:
AUTHOR: 陽子
DATE: 10/18/2006 17:08:24
話したことなかった?そんなことも知らなかったいいかげんな姉でございます(-_-;)
私にはいつもいじめられていた記憶しかないかもしれませんが、典ちゃんはあんたが生まれたことをとても喜んでかわいがっていたよ。私の曖昧な記憶ではたぶん・・・。
その分あんたも少しは利口になってくださいな。
しかし、姉弟でこんなとこでコメント書いてるのもなんか変だよね(笑)。
Posted by 母に背負られた生まれたばかりの弟 at 2006年10月18日 12:58
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