京町家再生シンポジウムに参加して

三和総合設計

2009年06月14日 07:59

昨日、「伝統構法の法的許容と京町家再生」というシンポジウムに参加してきました。

感想を一言で書くのはすごく難しいものでした。

講演の講師は、伝統構法の設計法の構築のプロジェクトを担当されている東京都市大学の大橋先生。
講演では主に昨年のEディフェンスの実大実験のお話がされました。

講演の後に、大橋先生と京都作事組や京町家再生研究会のメンバーによるパネルディスカッションが行われました。

中身を聞いて持ったこと。

構造的な理屈は大橋先生が正しい。作事組や再生研究会の方には申し訳ないのですが、そのあたりはあまり同調できませんでした。

人間が住むために築いてきた町家をどうしても守らなければならないという考え方については、作事組や再生研究会の方々の考え方が正しく、大橋先生も重要性は理解しているという発言はあるものの、先生は自分の置かれた立場の重要性についてご理解されていないと感じました。

作事組や再生研究会の方々は今の建築基準法は日本の伝統構法の建物を壊していく方向でしかない。
そんなものを守ると日本の大切な文化が失われてしまうと主張されています。
これに対し、大橋先生は、今の国交省は伝統構法を何とかしようと動いています。
この動きにぜひとも参加してくださいと呼びかけられました。

なぜ、作事組や再生研究会の方々が建築基準法に適合しなくても仕方が無い。もし建築基準法の中に組み入れられるのなら、細かな法律の適用除外になることを求めると言っているのか。このあたりを良く考えなければなりません。

誰も好んで法律を破りたいというわけではありません。
でも、今の法律は、その法律を守ろうとすると、大切なものを失わされてしまうことがあると言うことですね。

伝統構法の基準ができても、京都の町家らしさが失われるのなら意味が無いということです。

大橋先生は、先にも書いたように、国は伝統構法を何とかしようと考えていると発言されていますが、国のプロジェクトに参加していて思うのですが、すごくギャップを感じます。
伝統構法を何とかする気持ちがあると言ってもこの程度かと感じることがあります。

まして、京町家のように長い歴史を持ち、市民の生活や経済とも深い関係のあるものが、悪人を取り締まるための法律でくしゃくしゃにされてしまいたくないという気持ちはわかります。

地方の文化や個人の思い。
そんなものをすべて受け入れる気持ちがない伝統構法の基準づくりはやはり偽者と言わざるを得ないでしょうね。

法律というのは数字だけで決めるものではありません。
構造基準と言えばやはり数値化されるものも多いのですが、数値化されない、しにくいものもあります。
それをダメと考えるのか。それとも構造的な判断を加えて良しとするのか。
ここが重要です。

大橋先生が単なる大学の構造学者なのか、それとも世の中に名を残す研究者になるのか。
そんな分かれ目のように思います。

正直言って、京町家の再生に係わっておられる方々の動きに驚かされました。
地元の構造研究家の方々も受け入れない。
そんな方を受け入れると京町家は守れない。
いい加減と言うと怒られるかも知れませんが、そんな部分も感じましたが、それ以上に京町家を何とか守るのだと言う気迫を感じました。

さあ、この溝を埋める方法はあるのでしょうか。

方法はひとつ。国が伝統構法を守ろうとする人たちの思いをすべて飲むことでしょう。
法律を作って問題が起きないようにするというような思いでは解決しないでしょう。

近年作られている住宅はお金儲けのために業者が造っているものがほとんどです。
その業者達は目的がお金儲けですから、基準が変わればそれにあわすことは何のためらいも無い。

でも、文化を守ろうとしている人たちはそんな簡単なものではない。
法律や制度は多くのものを切り捨てるところから始まってしまいます。
そのやり方で、地方地方で違いのある伝統構法を判断できるはずも無い。

それを理解した法体系。
日本には無くても、他の先進国にはあるように思いますが、いかがでしょう。

誰かご存知ないですか。。。。。


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