京都市が提唱するノーマイカーデーに、市長や市議会の正副議長、議員などが車で登庁していたことが問題になっています。
車の問題、非常に難しい問題ですね。
今回のノーマイカーデーに市長をはじめとする議員達が車で登庁していたことはいくら言い訳してもどうにもなりません。
自分達が決めたことをそのトップ達が守れないのですから、本気なのかということになってしまいます。
なぜノーマイカーデーを設定しているのか。
地下鉄や市バスの事業が赤字であるからでしょう。
市長達は自分達わずかな人間ぐらい守らなくても収支にはあまり関係がないというぐらいの気持ちだったのではないでしょうか。
なぜノーマーカーデーを設定しなければならないのか。その理由を地下鉄や市バスの赤字という数字だけでものを考えて良いのかを市民も含めて考えなければなりません。
車に乗る人が増えれば、地下鉄や市バスに乗る人が減る。
そういうことなのですが、いくらノーマイカーデーを少しぐらい設定しても、社会が車依存の形態になっておれば、それが変わることはありません。
昔は京都に出かけると駐車場がないので困るという状態でしたが、京都市役所の前の道路の地下には大きな駐車場があります。街のあちこちにはコインパーキングがたくさんできて、その情報もインターネットで確認することができる。
そういう状態を作っておいて、ノーマーカーデーを設定してもどうにもなりません。
もっと大きく考えると、日本の基幹産業は自動車であると考えられています。
庶民の足である公共交通を守るために車を制限することが本気でできるかどうかが重要ですね。
車があると、一日にいくつかの仕事がこなせてしまいます。
世の中のものの値段もそれにあわせて決められてしまいます。
そういった中で、車を利用しないで生きていくことは大変なことです。
私は車社会を良いものだとは考えていません。
できればできるだけ減らして社会活動ができるならそれが良いと思っています。
でもそれを実現しようとすると、国からそれを考えた行動をしなくてはいけないということになります。
車の利用が必要な地域。公共交通の利用を優先的に考える地域。その中間的な地域。
それぞれ街の作り方を考えなければなりませんし、産業のあり方も考えなければなりません。
その本気度が薄いから、今回のような市長をはじめとする人たちのような行動になってしまうのでしょう。
京都市は旧の町並みが歯抜けになって景観が台無しになっています。
町家が細切れにされると、耐震的にも問題になります。
昔は古い町家が壊されるとそこには3階建ての住宅が建ったりしたものですが、最近ではコインパーキングになることが多い。
それも周辺の人たちの駐車場不足に役立ってはいるのでしょう。
さあ、そのあたりをどう考えるか。
ノーマイカーデーを本気で考えるなら、多面的な政策が必要になってきます。
地下鉄や市バスの赤字の穴埋めなどといった小さな考え方であればいつまでたっても変わらないでしょう。
公共交通や自転車、徒歩で安心して暮らせる町が本当に作ることができるのか。
この問題については、車社会に反対する個人ではどうにもならない問題です。
車はドア、ツー、ドアで動けるので本当に便利なものです。
自由にまかせていれば、経済的に余裕があれば誰でも乗ってしまうでしょう。
それをどのような形で制限を掛けるか。
難しい問題ですね。
少なくともいえることは、車にとって便利にすればするほど公共交通は成り立たない。
車に乗れるうちは良いけれど、高齢になって車に乗れなくなったり、経済的に乗れなかったりして、交通弱者になるととんでもなく不便な社会になってしまうということです。
車に乗っているときにはあまり考えないことかもしれませんが、広い目で将来を考えて行動しなければなりませんね。。。
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