昨日、「
降りてゆく生き方」という映画を見ました。
私は以前ブログにも書いたと思いますが、映画やドラマは好きではありません。
好きな人に叱られると思いますが、どうしても作り話としか思えないのです。
そういうこともあって、劇場(市民ホール)などで映画を見るのは25年ぶりぐらい。
でも、映画を見て、感動させていただきました。
この映画は、主演が武田鉄矢さん。
競争社会を生き抜いてきたやり手の営業マンで、第二の人生を成功させるため、地方都市の開発に乗り込むのですが、地方都市を再生させようと取り組む人たちと関わる中で、自らの生き方と日本の社会が抱える問題に気付くというものです。
「降りてゆく生き方」というタイトルの「降りてゆく」とは、競争社会の中で上ばかりを見るのではなく、足元を見つめて生きていくということだと思います。
この映画も他の映画と同じで、水戸黄門のように最初から答えは見えている。
それでも感動させられたのには何かがあると思います。
ごく普通に生きる。
いのちを大切に生きる。
ただそんなことに真正面から取り組んだ映画だからこそ、胸を打つものがあったのだと思います。
皆さんも感じておられると思いますが、現代は競争の社会。
どんな商売をするにも人に勝たなければ生きていけない。
そんな社会のなかで、ゆっくりと生きたいという人が増えていますが、私は何かいつも多少の違和感を感じていました。
地域の木材を使おう。職人の技能を大切にしよう。伝統的な建物を大切にしようといつも訴えていますし、回りもそんな行動をしている人も多い。
なのにこの感じる違和感は何なのか。
この映画をみることによってぼんやり解ったような気がします。
地域の山の木を使った家を作るために、イベントなどを行ってそれに共感する人を集める。
そこに集まる人たちも第二の人生を今までの競争社会から逃れたい人たち。
お互いの考え方が一致して地域の木材を使った家が完成する。
簡単に考えると良かったじゃないかということになるのだと思いますが、実際、社会は大きく変わっていない。
余裕のある人が「降りてゆく生き方」を実践していけるのですが、「降りてゆくことができる社会」にはなっていないということです。
「降りてゆく生き方」をしたい人を集めて商売する。結局、地域の木材を使おうと声高く訴えている造り手は大手企業などに対抗する手段として地域の木材を使っているだけで、決して「降りてゆく生き方」を実践しているわけでなく、やはり上を向いて競争しているのです。
この映画では、スローライフを楽しむなどといったような話は全くありません。
地方の人がごく普通に生きているだけ。
それをどうしたら実現できるのか。そういうところを訴えているのだと思います。
伝統構法の仕事がしたいという若い大工さんもいます。
いや、むしろ腕のある年配の大工さんより、若い人のほうがそういう思いは強い。
それは非常にうれしいことですが、そういったことばかりが脚光をあびる。
腕だけを比べると、何も言わずにもくもくと仕事をしている大工さんや仕事がないといっている大工さんのほうが優れている。
でも本当に仕事がない。
でも、自分の思いをうまく人に伝えることができた人は何とか思うような仕事が確保できている。
「降りてゆくことができる社会」とは、自分の仕事を黙々と頑張ることでちゃんと生きていくことができる社会だと思います。
大工さんなどは少し違うかもしれませんが、山などの仕事についている人は好きでその仕事を始めた人ばかりではないと思います。
その地に生まれ、親の代から山を持っている。
だからあたりまえのように山を手入れしてきた。
そのあたりまえが生きていくことができない仕事になってしまっています。
そんなことに対応するために山を好きな人を集めて何とかしようなんて答えがあるでしょうか。
そんなことは不可能ですね。
普通に目の前の仕事に取り組むことが、ちゃんと生きるための糧にならなければありえないことです。
スローな生き方をしたい、スローな生き方を応援することのできる仕事がしたいと思う人が増えてきたことは良いことなのですが、社会をスローな生き方ができるものにするには違う考え方が必要だと思うのです。
競争社会の中に企業は存在するのですから仕方がないことですが、スローな生き方ができるようにするためにはスローな生き方を売り物にするような企業では根本的な解決にはならないということです。
自分の言いたいことを文書にすることは非常に難しいのですが、「降りてゆく生き方」を誰でも実践できる社会はどうしたら作れるのか、裕福で余裕のある人だけが「スローな生き方」を体験できるのではあまり意味のないことだと思っています。
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