八百長

三和総合設計

2011年02月12日 08:31

大相撲で八百長が問題になっています。

八百長と言う言葉の語源と関係があるか無いかは別として、大相撲には八百長のうわさがつき物でした。
7勝7敗の角番大関はほとんど負けることはない。
こんなことはテレビで見て実感している人は多かったのではないでしょうか。

今回のようなメールで詳細に打ち合わせなんかをしていたかどうかはわかりませんが、八百長は昔から無かったという答えは誰も納得できないでしょうね。
昔からあったが今後は一切やめると言わないと、また同じようなごまかしが続いてしまうでしょう。

今朝の新聞に、瀬戸内寂聴さんが「国技とは?」と書かれていました。
瀬戸内さんは相撲は国技ではないと書かれていましたが、私は今の形態を続ける限り「国技であるべき」だと思います。
日本の昔の文化をそのまま引き継いでいるのだから、国技として残さないと柔道のようなカラフルな道着になってしまうかもしれません。
そのうち回しをつけない相撲ができたりするかもしれません。

なんのかんのいっても、夕方の暇つぶし?に相撲番組をみる。
国民すべてが好きであるとは言いませんが、日本の社会に根付いたものであることは間違いないでしょう。

八百長については少なくとも私が子どものころからやられていたのは間違いないと思いますが、本当の昔はどうだったのでしょうね。
スポーツとして外国の人も入ってきているし、これからも国技として存在続けていこうというのなら、このあたりで八百長は一切やめれば良いでしょう。

八百長がごく一部の人だけだったという八百長のような結論をだすと、うまくばれない方法を考えるようになるだけですね。

スポーツだから八百長はいけないというのもわかりますが、八百長はごまかしの一つ。
今の世の中、ごまかしが横行しています。
テレビの宣伝を見てもごまかしのようなことばかり。

なぜそんなことになるのか。
人の生活が掛かっているからですね。
同じものなら安いほうが良い。
同じものでもお得なものはないか。
環境に優しいものが良いけれど、安いものは無いかしら。
そんな考えで物を購入したりします。

そうすると、実際の商品よりいかによく見せようかというごまかしが横行します。

相撲界の八百長も力士の生活が掛かっているから起こったことでしょう。
私達も自分達がごまかしの生活を送りながら、相撲だけは不順さは一切認めないというのは少しおかしいでしょう。
でも、相撲をこれから楽しむため、また、国技として存続するためにも、八百長はやめたほうが良い。
八百長かとはっきりすると見る楽しみが奪われ、その結果、国技として存続できなくなってしまいますね。

今までの行為は大目に見て、今後は一切やらないというのが一番すっきりした解決方法だと思いますが、皆さんいかがでしょうか。

トカゲの尻尾きりを行うのはやくざと同じ。
そういう解決方法をとれば確実にファンのこころは離れるでしょう。

理事長さん、ちゃんと魁傑(解決)してくださいね。



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