京都大学の入試の不正が問題になっています。
携帯電話を使った不正であることは間違いないでしょう。
携帯電話は便利なものですが、あちこちでその特徴を活かした犯罪が行われていますね。
世の中はずるいやつが勝ち抜く社会になってきました。
大学の入試にまでこんなことが行われるとしたら、日本の社会はどうなるのでしょうか。
ただでも今の企業はあまり良くないものをいかに高く売るかに力を注いでいるように思えます。
そんな企業に大学に入るときからずるさを発揮した人間が入っていくなんてことも起こりそうです。
携帯電話の不正を防ぐには、劇場などで使われている携帯電話を使えないようにする電波を発生させる装置などをつけることも考えられますが、相当な費用が掛かるでしょうね。
そもそも携帯電話が生活に必ず必要なのか。
あったほうが良いのに決まっていますが、無くても生活できないことはありません。
逆に携帯電話があることに社会の仕組みがなってしまって、いろいろと問題が起こっていると思います
携帯電話で不正をするやつがいる。
それを防ぐために妨害電波を出すための機械を設置する。
そんな装置を作る会社が儲かる。
大学生はそんな先端産業に入りたいと思うようになる。
何とかして不正をしてでも良い大学に入ろうとする。
こんなことを繰り返している間に、日本の企業は社会にとって本当に意味があるかどうかわからない企業が大勢を占めるようになる。
本当に人間のために役立つものづくりをしている人はあまりうまく生きられない。
次々と問題が起こるほうが経済が活性化するなんて馬鹿なことを言っているうちに日本はどうしようも無い国になってしまうかもしれません(日本だけではないかもしれませんが)。
大学の入試の制度をもう少し考えなければなりませんね。
不正をしてしか入れない人は、本当は卒業など難しいはずです。
でも大学内の試験でも不正をしてすり抜けるのでしょう。
そんなことを許さないためにはどうしたら良いのでしょうか。
結論からいうと、勉強したくない人を入れないことです。
少子化にも向かっているのですから、大学生の定員を減らすべきです。
また、昔のように実務を習得できるような専門学校をもっと優遇すべきです。
企業が大学のブランドばかりを大切にするからこんなことがおきる。
でもそんな企業はそれが良い選択のしかたなのですね。
だからそんな企業の優遇もやめなければなりません。
実業を行うような企業を優遇し、お金を廻して儲けるような虚業を冷遇することを考える必要があります。
建築の世界でも、大学で学んだことが役に立っているでしょうか。
良い大学を出たやつは、いろいろと順応性があるだろうといった選び方がされていると思います。
社会に出ても大学で学んだような知識が活かせるようになっていない。
簡単に早く安くできることが良いと考えるような社会の制度になってしまっています。
もう一度学ぶということを考え直すならば、もう一度働くということを考え直さなければなりません。
大学に不正をして入学しようとする人と、社会でうまく人をだまして生きていこうとする人とあまり大差はありません。
法律の枠の中で犯罪かどうかを判断しているのではだめです。
人はどうあるべきなのか。そこからスタートしないと、ずるいやつを取り締まる制度や仕組みばかりに費用がかかる社会になってしまいます。
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