最善を選択できない社会

三和総合設計

2011年03月22日 23:02

東北・北関東地方の災害からおおよそ10日が経過しました。

未だに原子力発電所は予断を許さない状況ですが、余震の回数も若干ではありますが減ってきています。

被災者の方々に対し、私達ができること、今私達の生活で当面していかなければならないこと、今回の災害を教訓にして社会のあり方を考え直すこと。

そのあたりを冷静に分けて考える必要があると思います。

地震や津波に対して、今回のような大規模なものに対して、人間は今のところ完全に対応することは難しいと思います。
しかし、いろいろ起こった問題に対して、答えを用意することができたものもあるはずです。

でも、それがなぜできなかったのかということを充分考える必要があります。

私は現在の社会の問題の原因は「最善の選択ができない」ということに尽きると思います。

原子力発電所については反対する人も多い。
でも電力需要を考えたりするとどうしようもないと考えざるを得ないとか。

そもそも電力需要のことなど考えている暇も無いとか。

世の中のことに対して、何が一番良いかじっくり考えることができないとか、もし、これが良いだろうと思っても、いろいろなことが絡み合って実施できないとか。
そんなことが多すぎますね。

特に経済的な理由から「最善の選択ができない」ということがあまりに多すぎますね。

日本は世界と経済で競争に打ち勝つしかない。
そういった前提条件で社会の構造が成り立っています。
競争に勝つと言うことは必ず勝者があれば敗者があるということです。

世界中のすべての人が勝者になると言うこともありうる話かもしれませんが、商売を考えている人の動き方を見ていると、そんな風になるとはとても思えません。

近江商人の話としていつも言われるのが「三方良し」の精神ですが、今の世の中、そういったことを考えた時点で敗者になることが決定するような感じです(頑張っている人もいると思いますが)。

原子力発電所の事故は私達の社会を考え直すきっかけになると思います。
なぜ原子力発電所が必要なのか。
原子力発電所に頼らない社会はありうるのか。
今、できないと思っていることは本当にできないことなのか。

私達は本気で考えなければならないでしょう。


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