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2006年01月05日

歴史の町大津

今日も新聞記事から。

私の住まいや事務所は大津市の滋賀里という場所にあります。
小さいころから育ったところは、南滋賀といって、ローカル線の京阪電車石坂線で一駅南です。
滋賀里という地域の山の中に「崇福寺」というお寺があったそうです。
新聞記事によると天智天皇(飛鳥から大津京に遷都した天皇)が夢枕にたった僧侶のお告げで建てたそうだ。
大津京は後の壬申の乱によりわずか5年で廃都となったが、「崇福寺」は平安時代まで東大寺と並ぶ十大寺の一つとして栄えたらしい。

「崇福寺」は私の小さなころの記憶では、山奥の「崇福寺跡」です。
建造物もまったくなく、柱の跡が残っているだけで、小学生が近くに歩いて遠足に行くのにちょうどよい距離の場所といった程度です。
今は、うっそうと木が茂り、歩いてしか行けない細い山道を通りやっとこさでいける高台に石がいくつか並んでいるだけなのです。
この記事を読んでいってみようという人は、気をつけていってくださいね。地元の人でもよくわからないような場所ですので・・・。

名古屋の大学で建築を学んでいると、建築史の図集に「崇福寺」の話が出てきて驚いたことがあります。
他にも、大学の歴史の見学旅行の第一日目は大津の三井寺、日吉大社などで、自分が小さなころ遊んだところばかりで驚いたことがあります。
特に三井寺は、高校生のころ友達の住まいがすぐ近くにあり、境内でプラスチックのゴルフボールを打っていて、お坊さんにしかられたことを思いだします。

このように歴史の町大津でありながら、大津の文化について学校で特に教えてもらったことがありません。記憶にないとういうことではありません。
最近ではひょっとしたらそういう教育もされているかもしれませんが、私が小さなころの歴史といったら、遠いところの観光地としても有名なところばかり、今思うと遠いメソポタミアなどの話より、近くの歴史をもっと教えてほしかったなあと思います。

大津も最近になって景観条例をつくったり、JR西大津駅を「大津京」と改名しようとしたりしていますが、もっと根本的なところから変えないとだめじゃないかと思っています。
西大津駅を降りると、無味乾燥な背の高いマンション、パチンコ屋さんの赤い立体駐車場などとても「大津京」と呼べるようなものではありません。

なにごとも小さなころの教育が大切です。
受験中心の教育をやめ、本当に心が安らぐ社会づくりに役立つ教育に変えてほしいと思います。

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Posted by 三和総合設計 at 07:23│Comments(0)
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