
2006年03月23日
大津の中央大通り
今日も新聞記事から。
京都新聞の滋賀地域版に「みち」の風景というコーナーがあります。
今日のコーナーの記事は、大津駅からまっすぐ琵琶湖まで一直線に続く通称「30m道路」と呼ばれている中央大通りについてでした。
道の真ん中には銀杏(イチョウ)の古木がある幅の広い通りですが、滋賀県庁などにいったときにはときどき通るのですが、あまり賑やかでもなく、住民と密着しているわけでもなく、踏み切りで遮られているため特に便利なわけでもなく中途半端な道に思えます。
新聞記事でも、近隣の住民の声として、「道は広くなったけれど、人のつきあいは昔のほうがあったねえ」と紹介されていました。
大津祭りの際は賑わいますが、この道路が歩行者専用道路として開放されるためで、普段はあまり大津市民にとっても近隣の住民にとっても身近な道路とはいえないようです。
道路は日本では土木屋さんが設計します。建築屋さんもあまり良いとはいえませんが、日本の土木屋さんは特に移動のスピードや安全性などだけに目が行って、暮らしの生活道路という視点が欠如していると思います。
私は大学時代4年間名古屋で暮らしましたが、学校の近くに「100m道路」というものがありましたが、まったく生活観はなくひどいものでした。さすがに、トヨタのお膝元の地域なので道路は広々として中央分離帯で区切られているのですが、京都のような町の賑わいは感じられませんでした。もちろん、京都のような歴史がある街と比較するのは無理かもしれませんが、賑わいの欠如に一役買っているのが「中央分離帯」だと思います。
人の動きというものを直線的にとらえ、必要なものをただ配置するだけでは道の多面的な機能を果たせるわけではありません。
また、電柱を地下に埋め込んでうっとしいものを取り除くだけでもいけません。
そこに住む人々との生活を取り込んだ道路というものの感覚が重要だと思います。
結局のところ、諸悪の根源は「自動車」だと思いますが、アンチモータリゼーションの想いとは反対に毎日車に乗らざるを得ない生活をどのように考えたらよいのでしょう。
京都新聞の滋賀地域版に「みち」の風景というコーナーがあります。
今日のコーナーの記事は、大津駅からまっすぐ琵琶湖まで一直線に続く通称「30m道路」と呼ばれている中央大通りについてでした。
道の真ん中には銀杏(イチョウ)の古木がある幅の広い通りですが、滋賀県庁などにいったときにはときどき通るのですが、あまり賑やかでもなく、住民と密着しているわけでもなく、踏み切りで遮られているため特に便利なわけでもなく中途半端な道に思えます。
新聞記事でも、近隣の住民の声として、「道は広くなったけれど、人のつきあいは昔のほうがあったねえ」と紹介されていました。
大津祭りの際は賑わいますが、この道路が歩行者専用道路として開放されるためで、普段はあまり大津市民にとっても近隣の住民にとっても身近な道路とはいえないようです。
道路は日本では土木屋さんが設計します。建築屋さんもあまり良いとはいえませんが、日本の土木屋さんは特に移動のスピードや安全性などだけに目が行って、暮らしの生活道路という視点が欠如していると思います。
私は大学時代4年間名古屋で暮らしましたが、学校の近くに「100m道路」というものがありましたが、まったく生活観はなくひどいものでした。さすがに、トヨタのお膝元の地域なので道路は広々として中央分離帯で区切られているのですが、京都のような町の賑わいは感じられませんでした。もちろん、京都のような歴史がある街と比較するのは無理かもしれませんが、賑わいの欠如に一役買っているのが「中央分離帯」だと思います。
人の動きというものを直線的にとらえ、必要なものをただ配置するだけでは道の多面的な機能を果たせるわけではありません。
また、電柱を地下に埋め込んでうっとしいものを取り除くだけでもいけません。
そこに住む人々との生活を取り込んだ道路というものの感覚が重要だと思います。
結局のところ、諸悪の根源は「自動車」だと思いますが、アンチモータリゼーションの想いとは反対に毎日車に乗らざるを得ない生活をどのように考えたらよいのでしょう。
Posted by 三和総合設計 at 07:32│Comments(0)