
2006年10月09日
木を見て家?を見ず
「木を見て山を見ず」という格言がありますね。
問題を解決するのに、目先のことばかりを考え、全体を見ていないと大きな間違いをするという意味かなと私は思っています。
この言葉を借りて、今の木造在来工法住宅の問題点を書いて見ます。
今月は、「びわ湖水源のもりづくり月間」ということで、さまざまな取り組みが県の林務関係の音頭で進められています。
今年からは、森林税の財源が充てられるようになったからか、テレビ番組まで作成されているようです。
その中で木造住宅の振興のために、「近くの山の木で家を建てよう」的な活動が取り上げられています。
私もそういった活動にかかわっていますが、その活動で、木や山の話が強調されるあまり肝心の家のことが忘れさられている感があります。
住宅そのものの環境性や性能については、ハウスメーカーなどのマスコミ宣伝で不確かな情報がどんどん流されています。そういった中で、そのあたりをまじめに対決するのには多大な労力がいるためか、一番大事な部分を置いておいて、「○○の木で家をつくる」という言葉のみが強調され、その住宅をつくる技術者や職人の能力や知識、肝心の家そのものの内容などが置き去りにされています。
ついこの間まで、木造在来工法の住宅とはかかわりのなかった工務店が、「○○の木で家をつくる」という会を作りましたとか、ついこの間まで学生だった設計者が、「○○の木で家をつくる」とか、木造住宅の良さはそんな簡単には出せるものではありません。
まさに、『木(山)を見て家を見ず』といったところです。
ついでにもう二つ書いてみます。
『技を見て家を見ず』
伝統的な木造住宅を良いものだと考える職人さんの多くがこんな感じです。
自分が今まで師匠に教えてもらった技術や家の造りが悪いはずがない。
伝統工法は良いものだという考えです。
誤解のないように一番最初に書きますが、私も伝統工法が良いものであるとおもっています。
しかし、彼らが考える伝統工法というものは、自分達が教えられたそのままのものなのです。
社会は変革しています。その変革の中には好ましくないものもあると思いますが、その変革に対応していかなければならないものもあるはずです。
そういった変革に対応できていない木造住宅も数多くあるのです。
新しい技術が必要だとは思いませんが、少なくとも付加しなければならないものもあるはずですが、そういった知識は習得せずに、伝統的な技におぼれているところがあると思います。
伝統的であるということだけで住まい手に認められるとしたらとっくに木造住宅の復権はなされているはずです。
もちろん木造住宅の伝統技が必要ないということではなく、家に必要な部分が欠けているので一部のファンを除き離れていっているのだと言っているのです。
厄介なことはマスコミなどが、近くの山の木を使った伝統的な形の住まいができたときに「これはすばらしいものだ」といった形で取り上げることです。
何度も書きますが、そういった住宅が良いものであることは間違いないのですが、一部の方々だけに支持される住まいを造って、それをPRしても地域の山が救われることもないし、伝統的な技術が継承されていくこともないと思います。
多くの人々に支持される「近くの山の木で造る住まい」を造っていかなければならないと思っています。
もう一つ。
『法令を見て家を見ず』
先日、大津市の南部で住宅の耐震補強に関する取り組みがなされて、それが新聞報道に掲載されていました。
その中で、県の担当者が「木を何本も結合した柱なら強度が高まる」といった説明をしていたことが書かれていました。
行政の方は実務経験がほとんどないので仕方がないのかもしれませんが、この記載は「集成材の柱」のことでしょうね。
この表現が問題だというのではなく、集成材が無垢材よりも強いと言う説明です。
確かに法令の中には集成材は無垢材よりも強度が強いといったことが規定してあります。
しかし、この規定は建築基準法で定めている最低基準の場合の話なのです。
木材はその性質上、強度に割と大きなばらつきがあります。
そのばらつきを考え、法令で必要な最低基準である数値を決める際はばらつきの下の方の数値を取ることとしているのです。
ですから、一旦木材をばらばらに切って張り合わせた工業化された集成材はばらつきが少ないため数値が高くなり、ばらつきの大きな無垢材は数値が低くなるのです。
ばらつきが大きいということは、良質でない木材を使えば問題もあるのですが、良質な木材を使えばすばらしい住まいができるということです。
ですから、ローコストを目標に資材にできるだけ費用を掛けない住宅では、良質でない無垢材を使うよりも集成材のほうが強度が強いと言う説明は成り立つと思いますが、もともと良質な材料しか使わないという考えの良質な木造住宅の場合は、無垢材のほうが集成材よりも強度が高いという場合が多いのです。
また、集成材は接着剤を使ったものです。本当に長い将来同じ性能を発揮できるか疑問です。身近なものの中にも接着剤の耐久性がだめになり、壊れたものがたくさんあるでしょう。
住まいに使われている接着剤はやわなものではないと思いますが、健康被害が発生する中で、その被害を軽減するために接着性能が低くなっているものもあります。
ローコスト住宅に使われた木材同士での比較でも、長い将来には強度は逆転しているということは充分考えられます。
このように法令や制度によって家を考えるということがさまざまな問題を引き起こしています。
法令をつかさどる行政の方も、行政が扱っている基準と言うのは、最低基準で建てられる可能性のある住宅でのものであるということを正確に理解していただきたいと思います。
また、いろいろな面で報道される新聞社にも、できるだけ正確な知識を持っていただきたいと思います。
問題を解決するのに、目先のことばかりを考え、全体を見ていないと大きな間違いをするという意味かなと私は思っています。
この言葉を借りて、今の木造在来工法住宅の問題点を書いて見ます。
今月は、「びわ湖水源のもりづくり月間」ということで、さまざまな取り組みが県の林務関係の音頭で進められています。
今年からは、森林税の財源が充てられるようになったからか、テレビ番組まで作成されているようです。
その中で木造住宅の振興のために、「近くの山の木で家を建てよう」的な活動が取り上げられています。
私もそういった活動にかかわっていますが、その活動で、木や山の話が強調されるあまり肝心の家のことが忘れさられている感があります。
住宅そのものの環境性や性能については、ハウスメーカーなどのマスコミ宣伝で不確かな情報がどんどん流されています。そういった中で、そのあたりをまじめに対決するのには多大な労力がいるためか、一番大事な部分を置いておいて、「○○の木で家をつくる」という言葉のみが強調され、その住宅をつくる技術者や職人の能力や知識、肝心の家そのものの内容などが置き去りにされています。
ついこの間まで、木造在来工法の住宅とはかかわりのなかった工務店が、「○○の木で家をつくる」という会を作りましたとか、ついこの間まで学生だった設計者が、「○○の木で家をつくる」とか、木造住宅の良さはそんな簡単には出せるものではありません。
まさに、『木(山)を見て家を見ず』といったところです。
ついでにもう二つ書いてみます。
『技を見て家を見ず』
伝統的な木造住宅を良いものだと考える職人さんの多くがこんな感じです。
自分が今まで師匠に教えてもらった技術や家の造りが悪いはずがない。
伝統工法は良いものだという考えです。
誤解のないように一番最初に書きますが、私も伝統工法が良いものであるとおもっています。
しかし、彼らが考える伝統工法というものは、自分達が教えられたそのままのものなのです。
社会は変革しています。その変革の中には好ましくないものもあると思いますが、その変革に対応していかなければならないものもあるはずです。
そういった変革に対応できていない木造住宅も数多くあるのです。
新しい技術が必要だとは思いませんが、少なくとも付加しなければならないものもあるはずですが、そういった知識は習得せずに、伝統的な技におぼれているところがあると思います。
伝統的であるということだけで住まい手に認められるとしたらとっくに木造住宅の復権はなされているはずです。
もちろん木造住宅の伝統技が必要ないということではなく、家に必要な部分が欠けているので一部のファンを除き離れていっているのだと言っているのです。
厄介なことはマスコミなどが、近くの山の木を使った伝統的な形の住まいができたときに「これはすばらしいものだ」といった形で取り上げることです。
何度も書きますが、そういった住宅が良いものであることは間違いないのですが、一部の方々だけに支持される住まいを造って、それをPRしても地域の山が救われることもないし、伝統的な技術が継承されていくこともないと思います。
多くの人々に支持される「近くの山の木で造る住まい」を造っていかなければならないと思っています。
もう一つ。
『法令を見て家を見ず』
先日、大津市の南部で住宅の耐震補強に関する取り組みがなされて、それが新聞報道に掲載されていました。
その中で、県の担当者が「木を何本も結合した柱なら強度が高まる」といった説明をしていたことが書かれていました。
行政の方は実務経験がほとんどないので仕方がないのかもしれませんが、この記載は「集成材の柱」のことでしょうね。
この表現が問題だというのではなく、集成材が無垢材よりも強いと言う説明です。
確かに法令の中には集成材は無垢材よりも強度が強いといったことが規定してあります。
しかし、この規定は建築基準法で定めている最低基準の場合の話なのです。
木材はその性質上、強度に割と大きなばらつきがあります。
そのばらつきを考え、法令で必要な最低基準である数値を決める際はばらつきの下の方の数値を取ることとしているのです。
ですから、一旦木材をばらばらに切って張り合わせた工業化された集成材はばらつきが少ないため数値が高くなり、ばらつきの大きな無垢材は数値が低くなるのです。
ばらつきが大きいということは、良質でない木材を使えば問題もあるのですが、良質な木材を使えばすばらしい住まいができるということです。
ですから、ローコストを目標に資材にできるだけ費用を掛けない住宅では、良質でない無垢材を使うよりも集成材のほうが強度が強いと言う説明は成り立つと思いますが、もともと良質な材料しか使わないという考えの良質な木造住宅の場合は、無垢材のほうが集成材よりも強度が高いという場合が多いのです。
また、集成材は接着剤を使ったものです。本当に長い将来同じ性能を発揮できるか疑問です。身近なものの中にも接着剤の耐久性がだめになり、壊れたものがたくさんあるでしょう。
住まいに使われている接着剤はやわなものではないと思いますが、健康被害が発生する中で、その被害を軽減するために接着性能が低くなっているものもあります。
ローコスト住宅に使われた木材同士での比較でも、長い将来には強度は逆転しているということは充分考えられます。
このように法令や制度によって家を考えるということがさまざまな問題を引き起こしています。
法令をつかさどる行政の方も、行政が扱っている基準と言うのは、最低基準で建てられる可能性のある住宅でのものであるということを正確に理解していただきたいと思います。
また、いろいろな面で報道される新聞社にも、できるだけ正確な知識を持っていただきたいと思います。
Posted by 三和総合設計 at 08:03│Comments(0)