2008年06月29日

中の上

中の上って何でしょう。

少し前なら、日本人は総中流意識だといわれていました。
しかし、最近ではその中流という考え方自体が正しいかどうかが疑われています。

ものの真ん中。これを判断するのは難しいですね。
平均値であらわされる場合ならイザ知らず、人の意識ともなるとさまざまですね。

住まいの仕様で、中の上は何だろうと今、考えています。

小中学生の成績が二こぶらくだのような成績グラフになるように、どちらかと言うと、昔のように真ん中が一番多いということはなくなってきました。

住まいでは、ローコストの住まいと、きっちりつくるという住まいとに分かれ、その中間のような住まいは無い様に思えます。

住まいはどうあるべきかという考え方にたってものを考えれば、今、きっちり造ろうと考えて造られている建物はごく普通(真ん中)であって、住まいの耐久性を上げたり、破棄のことを考えたり、いろいろなことを考えて造るべきだと考えると、もう少し立派に住まいは造るべきなのでしょう。

中の上ですから、上ではありません。どこかで妥協する部分があるのですが、中であっても上というからには、必要な部分は最低備えていることは当然であって、普通よりしっかり造られていなくてはいけません。
中の上と上との違いは、仕上げであったり、個人の好みを取りいれる事であったり、そういった部分かなと思ったりします。

でも、世間での一般的な判断は、費用での判断となりますね。
坪25万円を謳っている住宅メーカーもあることですから、坪70万ということになると、中の上、もしくは意識としては上ということになるのですね。
でも、坪70万ぐらいでないと、住まいにあるべき性能(設備ではありません)は持つことは難しいと感じています。
それより安く造ろうと考えると、どこかで何かを省かなくてはいけません。

ローコストを謳っているハウスメーカーは、そのあたりをカモフラージュすることに力を注いでいますし、本当に重要な構造体など一般の方々に分かりにくいところは徹底的に省き、設備機器の豪華さなどで販売促進を図ろうとしています。

住まいの基本は住む人が楽しく過ごせるということですから、いろいろなパターンがあってももちろん問題は無いのですが、どこか違うような気がします。

お金儲けの手段となっている住まいも含めた「中の上」の住まいなのか、住まいのあるべき姿を考えた中で「中の上」を考えるのか、答えはかなり違ってきます。

これからの日本の進むべき将来を考えたとき、商業主義の考え方を含んだものの見方で物事を考えて行くのはあまり得策ではないように思えます。



Posted by 三和総合設計 at 08:01│Comments(0)
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忘れてた
ラガ【神田ぶろぐ】at 2008年06月29日 14:45
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