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2008年02月23日

全国学力テスト

今朝のテレビ番組で、全国一斉の学力テストについて話されていました。

今年も全国で唯一、小牧市だけが参加しないそうです。

学力テストに関してさまざまな意見が述べられていましたが、その中に競争社会なんだから学力テストで差が出るのは仕方がないとか競争により全体が伸びていくという話がありました。

確かに自由な競争により学力が伸びていくことはありうる話だと思いますが、何のための学力なのか、何のための競争なのかということを考える必要があると思います。

競争により技術が伸びていくという範囲にとどまればよいのですが、競争は必ず行き過ぎたものになります。行き過ぎた競争は本当に必要なものまで捨てることになり、今まで競争して頑張ったことが意味がなくなってしまうようなことも考えられます。

例えば、住宅で職人が技を競い合い腕を磨いたとします。この競争により技術力は上がり、より良い住まいが生まれ、住まい手にとってメリットが生じます。
しかし、この競争が過度になると、個人の切磋琢磨という範囲を超え、会社同士の金儲けの競争になってしまいます。
そうすると、職人が腕を磨くことより、どうやったらお金が儲かるか、どうやったら良い住宅に見えるかということに力が注がれるようになり、職人や技術に力を入れるよりも、宣伝、広告、営業などで競い合うことになり、本当の意味での競争がなくなってしまうのです。

最近の子どもたちは受験で競争にさらされています。
そういう競争に対する経験が本当に将来役に立っているのでしょうか。

受験戦争で勝ち残ったものは官僚や大手企業を目指し、一旦就職するとさらに本質的な努力をするのではなく、社内での変な競争に巻き込まれてしまうのです。

若者に競争によって得られた達成感が感じられないのはなぜでしょう。
その競争自体がレールの引かれたものだからではないでしょうか。

世の中、人には得て不得手があります。
昔なら、自分が勉強が得意でなければ他に道を見つけて頑張ったものですが、最近では社会の成功者になるためには、受験戦争に勝ち抜き、大手の企業などに勤めるしか見えていないようです。
その道をすべてのものが達成するわけではありませんから、ほとんどの人が敗北感を持っているということです。

もう一度職人の世界を考えて見ましょう。
昔は、俺は勉強で生きるのではなく、手に職をつけて頑張るのだという道が確かにありました。つらいこともあるけれど、自分の自由もある。それなりに収入もあり、自分の仕事に誇りが持てるものでした。

しかし、最近ではその職人を大手の企業が使い捨てのように使い、さらに高い技術を求めるのではなく、早く、安くばかりを求めるのです。
そうなってくると、収入だけではなく、職人としての誇りももてなくなってしまいます。

話を最初に戻しましょう。
ある程度の競争は良い面があるが、行き過ぎた競争は得るものは少ない。
こんなことをうまくコントロールできると良いのですが、日本人や東洋人は少し苦手なのではないかと思ったりします。

ものの良し悪しを見る目、公共の意識。このあたりがしっかりしていないと社会は良くなりりません。
社会が良くないと個人も良くなれないのですが、それを考えずに無理な競争を行なってしまう。
こういう状態から抜け出さない限り、いくら競争の利点を叫んでみても結果は良くないことになるでしょう。



Posted by 三和総合設計 at 07:24│Comments(0)
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