
2008年05月14日
自然の力の恐ろしさ
またも、中国で巨大地震が発生しました。
数日前にはミヤンマーでサイクロンの大被害があったばかりです。
こういった自然災害に対し、人間の力の小さいこと。
地震に対して言えば、今の日本は耐震工学も進み、ある程度の対応策はあるのですが、全国津々浦々まで耐震対策を施すことは不可能です。
人間が建てる建造物。これにはいろいろな意思が入っています。
単純に地震に耐えることだけを目的につくることができれば良いのですが、経済的なことをはじめとして、そう簡単には答えが見つけられません。
そういった中で、あのような巨大地震がくると、本当に悲惨な結果が生まれてきます。
地震というのは本当に難しいもので、いつくるかわからない。
その建物が存続しているうちに、大きな地震にみまわれる確率のほうが少ないので、どうしても対策は目先のことが済まされてからということになってしまいます。
特に最近のように、普通に生活することだけでも大変な時代にあって、建物の耐震に配慮するということは、建物を新築するときでなければ、現実的に不可能だといっても過言ではないのではないでしょうか。
私たちは建物を設計するときに、特に耐震については特別の配慮を行っています。
建築家が建てる住まいはおしゃれなものが多いかもしれませんが、見ただけで危なそうなものもあるように思います。
耐震的な配慮をしてあるものであっても、無理なデザインを追及するあまり、耐震性を確保するために無駄な費用を使っていると思われる建物もたくさんあると思います。
耐震性を確保し、無駄を省き、さらに住んで楽しく、おしゃれな家造り。
これは相当難しい目的ですが、それが実現できなければ、設計事務所の値打ちは無いのだと思っています。
そんな私たちでも、あのような巨大地震の惨劇を目の当たりにすると、大きな地震が来ないことを神に祈りたい気分です。
せめて、私たちの税金が無駄遣いされること無く、自然災害に対応できる社会構造作りに使われることを望むしかありません。
道路特定財源が一般財源化される。でも一般財源で道路を作ってはいけないということではないという論法で、今後も無駄な道路が建設されていくのではないか。こんな自然災害が起これば起こるほどそんなことは許してはいけないと感じてしまいます。
数日前にはミヤンマーでサイクロンの大被害があったばかりです。
こういった自然災害に対し、人間の力の小さいこと。
地震に対して言えば、今の日本は耐震工学も進み、ある程度の対応策はあるのですが、全国津々浦々まで耐震対策を施すことは不可能です。
人間が建てる建造物。これにはいろいろな意思が入っています。
単純に地震に耐えることだけを目的につくることができれば良いのですが、経済的なことをはじめとして、そう簡単には答えが見つけられません。
そういった中で、あのような巨大地震がくると、本当に悲惨な結果が生まれてきます。
地震というのは本当に難しいもので、いつくるかわからない。
その建物が存続しているうちに、大きな地震にみまわれる確率のほうが少ないので、どうしても対策は目先のことが済まされてからということになってしまいます。
特に最近のように、普通に生活することだけでも大変な時代にあって、建物の耐震に配慮するということは、建物を新築するときでなければ、現実的に不可能だといっても過言ではないのではないでしょうか。
私たちは建物を設計するときに、特に耐震については特別の配慮を行っています。
建築家が建てる住まいはおしゃれなものが多いかもしれませんが、見ただけで危なそうなものもあるように思います。
耐震的な配慮をしてあるものであっても、無理なデザインを追及するあまり、耐震性を確保するために無駄な費用を使っていると思われる建物もたくさんあると思います。
耐震性を確保し、無駄を省き、さらに住んで楽しく、おしゃれな家造り。
これは相当難しい目的ですが、それが実現できなければ、設計事務所の値打ちは無いのだと思っています。
そんな私たちでも、あのような巨大地震の惨劇を目の当たりにすると、大きな地震が来ないことを神に祈りたい気分です。
せめて、私たちの税金が無駄遣いされること無く、自然災害に対応できる社会構造作りに使われることを望むしかありません。
道路特定財源が一般財源化される。でも一般財源で道路を作ってはいけないということではないという論法で、今後も無駄な道路が建設されていくのではないか。こんな自然災害が起これば起こるほどそんなことは許してはいけないと感じてしまいます。
Posted by 三和総合設計 at 08:03│Comments(0)