2010年03月27日
公契約条例
皆さん、公契約条例ってご存知ですか
今朝の、朝ズバで報道されていました。
今、建設業界は大変なことになっています。
公共事業の縮小や景気の低迷により、受注競争は激しくなり、公共団体の予定価格より3割程度安い価格で入札されるのがあたりまえになっています。
3割も安い値段で請負されているのだからいいじゃないかという声が聞こえてきそうですね。
公共工事の予定価格というのは適当に決められているのではありません。
各公共団体が労働単価や資材などの値段を毎年見直し、妥当である値段を決めているものが基準になっています。私達設計事務所が設計するとき、資材などの値段を決めるときは何社かの合い見積もりをとって値段を決めます。
ですから、そういった値段を大きく下回って受注するということは本来難しいはずなのです。
でもそれが可能になるのはなぜなのか。
労働者や職人にしわ寄せを持っていっているからです。
最近の公共工事の入札では、元請業者はちゃんと見積もりをしません。
公共団体が示す予定価格を何割か切って入札します。
何割切るかは、最低落札制限に引っかかるかどうかで決まります。
その価格は公表されていないので、前後の状況を見ながら「えいや!」と値段を決めるのです。
うまく落札できたら、あとは予算を各工事に振り分け、元請の会社の利益を確保し、職人や労働者に押し付けて仕事を進めます。
建設労働者や職人にしわ寄せがすべて集まるということです。
公契約条例というのは、千葉県の野田市が条例化したもので、こういった問題を何とかするために、労働者や職人の最低賃金を確保させるように定めたものです。
労働者や職人にしわ寄せが行くだけでなく、建設業者も優秀な下請けを使い、ちゃんとした賃金を払っている会社ほど経営は苦しくなっています。
労働者や職人をいじめる会社ほど存続し、優良な建物を造れる能力のある会社ほど、倒産などに追い込まれるという状況になっています。
そもそも、最低賃金を確保するというようなことで大丈夫なのかということもあります。
良い建物などを造ろうとしたとき、優秀な職人が必要ですが、最低賃金を何とかクリアーする状態で本当に良い仕事が可能なのでしょうか。
最低の状態すら守れていないのだから、一歩前進ということになりますが、ものを造るということの本質をもう一度見直す必要があります。
もう一度自分達の周りを良く見てみましょう。
労働者や職人の方々が関わっていないものがあるでしょうか。
建物だけでなく、道路、橋梁など、いくら技術者がいても労働者、職人なしにはものは出来上がりません。
国民は高賃金を求め、デスクワークに集まるようになりました。
そういったことを続けていくと、本当に力がない国になってしまいます。
自分たちでものが造れずお金をかけて外国からものを買う。
そのお金もなくなってくると、ものを買うこともいずれできなくなってしまうでしょう。
今の日本では、指揮者になりたがる人間ばかり多く、演奏者を大事にしないオーケストラのようなものです。
大きな企業が世界を相手に勝ち抜く。
そのためには外国の低賃金に頼らざるを得ない。
そういった仕組みで、同じように日本の労働者や職人を使う。
こんなことを繰り返していけば、本当に技術力もなく、しかも最終的には貧しい国になってしまうでしょう。
自分達だけが良い目をしたいという考え方ではなく、日本の国民皆が幸せになることを前提とした社会づくりをしていかなければいけません。
今、公共工事は平等という名のものとに競争入札が行なわれていますが、その結果、国民の生活する権利の平等さが守れない状況にあるのです。
発注する公務員、無茶な受注をし、お金もうけのことしか考えない一部の建設会社は何とか生きていけますが、その他の建設関係者は生きていくことが出来ないような状況に追い込まれています。
さて、この問題をどう解決したら良いのか。
公契約条例も一つの段階ですが、それだけでもまともな状態になるとはとても思えません。
まず国民が安けりゃ何でも良いという考え方を変えることが必要ですね。
国にとって、国民にとって何が必要なのか。
そのビジョンを再構築することが重要です。
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今朝の、朝ズバで報道されていました。
今、建設業界は大変なことになっています。
公共事業の縮小や景気の低迷により、受注競争は激しくなり、公共団体の予定価格より3割程度安い価格で入札されるのがあたりまえになっています。
3割も安い値段で請負されているのだからいいじゃないかという声が聞こえてきそうですね。
公共工事の予定価格というのは適当に決められているのではありません。
各公共団体が労働単価や資材などの値段を毎年見直し、妥当である値段を決めているものが基準になっています。私達設計事務所が設計するとき、資材などの値段を決めるときは何社かの合い見積もりをとって値段を決めます。
ですから、そういった値段を大きく下回って受注するということは本来難しいはずなのです。
でもそれが可能になるのはなぜなのか。
労働者や職人にしわ寄せを持っていっているからです。
最近の公共工事の入札では、元請業者はちゃんと見積もりをしません。
公共団体が示す予定価格を何割か切って入札します。
何割切るかは、最低落札制限に引っかかるかどうかで決まります。
その価格は公表されていないので、前後の状況を見ながら「えいや!」と値段を決めるのです。
うまく落札できたら、あとは予算を各工事に振り分け、元請の会社の利益を確保し、職人や労働者に押し付けて仕事を進めます。
建設労働者や職人にしわ寄せがすべて集まるということです。
公契約条例というのは、千葉県の野田市が条例化したもので、こういった問題を何とかするために、労働者や職人の最低賃金を確保させるように定めたものです。
労働者や職人にしわ寄せが行くだけでなく、建設業者も優秀な下請けを使い、ちゃんとした賃金を払っている会社ほど経営は苦しくなっています。
労働者や職人をいじめる会社ほど存続し、優良な建物を造れる能力のある会社ほど、倒産などに追い込まれるという状況になっています。
そもそも、最低賃金を確保するというようなことで大丈夫なのかということもあります。
良い建物などを造ろうとしたとき、優秀な職人が必要ですが、最低賃金を何とかクリアーする状態で本当に良い仕事が可能なのでしょうか。
最低の状態すら守れていないのだから、一歩前進ということになりますが、ものを造るということの本質をもう一度見直す必要があります。
もう一度自分達の周りを良く見てみましょう。
労働者や職人の方々が関わっていないものがあるでしょうか。
建物だけでなく、道路、橋梁など、いくら技術者がいても労働者、職人なしにはものは出来上がりません。
国民は高賃金を求め、デスクワークに集まるようになりました。
そういったことを続けていくと、本当に力がない国になってしまいます。
自分たちでものが造れずお金をかけて外国からものを買う。
そのお金もなくなってくると、ものを買うこともいずれできなくなってしまうでしょう。
今の日本では、指揮者になりたがる人間ばかり多く、演奏者を大事にしないオーケストラのようなものです。
大きな企業が世界を相手に勝ち抜く。
そのためには外国の低賃金に頼らざるを得ない。
そういった仕組みで、同じように日本の労働者や職人を使う。
こんなことを繰り返していけば、本当に技術力もなく、しかも最終的には貧しい国になってしまうでしょう。
自分達だけが良い目をしたいという考え方ではなく、日本の国民皆が幸せになることを前提とした社会づくりをしていかなければいけません。
今、公共工事は平等という名のものとに競争入札が行なわれていますが、その結果、国民の生活する権利の平等さが守れない状況にあるのです。
発注する公務員、無茶な受注をし、お金もうけのことしか考えない一部の建設会社は何とか生きていけますが、その他の建設関係者は生きていくことが出来ないような状況に追い込まれています。
さて、この問題をどう解決したら良いのか。
公契約条例も一つの段階ですが、それだけでもまともな状態になるとはとても思えません。
まず国民が安けりゃ何でも良いという考え方を変えることが必要ですね。
国にとって、国民にとって何が必要なのか。
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Posted by 三和総合設計 at 08:04│Comments(0)
│変だぞ!今の住まいづくり(正)