2010年06月28日
近江八幡
昨日は、近江八幡の旧商家とヴォーリス建築の見学に出かけました。
この見学会は、私たちが主宰している木造住宅関連のプロが集まっている木考塾の主催です。
遠くは東京、倉敷、岐阜などから多くの参加者がありました。
木考塾にはいくつかの分科会があり、その中の職人分科会の担当ですが、それとは別に会員に近江八幡市在住の鈴木有先生がおられ、先生のご尽力と市役所やヴォーリス建築に関するNPO団体の方のご協力も得て、建築関係者ということで、普通では非公開になっている建物などもたくさん見せていただきました。
一昨日は京都府の美山の民家などを見ましたが、近江八幡の商家やヴォーリス建築は全く違うもの。
伝統建築が地方色豊かであることをつくづく感じさせられました。
木を活かした住まいづくりをいつも考えて仕事をしていますが、現状の枠の中での仕事になってしまいます。
全く違ったタイプの建物、それも歴史を長くつないできた建物を見ることもすごく大事であると思いました。
商家はその歴史としきたりを持って造られています。
本家と分家の造り方の違い。
それでもそのしきたりを守りながらも独自性を持って造る。
先人のいろいろな工夫が感じられました。

また、ヴォーリス建築ですが、デザインと言うより、その設計思想に共感させられました。
私たちが目指している住まいづくりに最も近いのではないかと思いました。
奇抜なデザインに走るよりも、住まい手のことを一番に考え、細やかな設計を行う。
古い文化を大切にしながらも、そこにとどまることなく新しい良さも取り入れていく。
そんな考え方のなかで、設計が行われていることが、一つ一つの建物から感じ取ることができました。

建物見学の途中では、近江八幡の郷土料理をいただきました。
以前にも食べたことがあるのですが、びわ湖の幸をはじめ、郷土の名産を使ったお弁当。
中でも鯉の飴炊きは最高でした。

一日にいくつの建物を見たでしょうか。
非常に盛りたくさんでしたが、一つ一つ心に残るものでした。
私の住んでいる大津も近江八幡に負けないぐらい歴史のある街ですが、近江八幡のように歴史的な建物が固まって残っていることはありません。各地に文化財が点在するだけで、なかなか歴史や文化を街づくりに活かすところまでは行きません。
前述の鈴木先生の言葉ですが、近江八幡の旧市街地は鉄道の駅が旧市街地から遠くに建設され、都市の発展(?)から取り残されてしまった。それが非常に幸いした。
そうですね。何でも突っ走っている間はよほど気をつかないと周りが見えなくなってしまっています。
良かれと思って開発していることが、気がついてみるととんでもないことになっている。
そういった開発に取り残されたと思っては見たが、実は非常に大事なものが残すことができたのだ。
そんなこともあるのですね。
一昨日、昨日とあちこち日本の文化が残されたところを歩いてきました。
自分達がいましていること、それも良かれと考えて行っていること。
それをもう一度見直して、確認しながら進めていくことも大事だなと思いました。
伝統構法の委員会などに参加しながら、「伝統構法」って何だということをもう一度考えることの大事さも感じています。
とりあえず、建築基準法で強制されているボルトや金物を付けないことだけを「伝統構法」と考えている状況もあるのではないかと思ったりします。
私がボルトや金物を使いたくない。ボルトや金物を使いたくない住まい手の方がおられる。
それをどうにかしたいのだという考え方。
それはそれで良いと思いますが、「伝統構法」を守ろうと声高く発言するからには、もう少し「伝統構法」の意味を噛み砕いて考えなければならないと思います。
そんな意味で、一昨日、昨日のお出かけは、非常に意味のあるものでした。
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この見学会は、私たちが主宰している木造住宅関連のプロが集まっている木考塾の主催です。
遠くは東京、倉敷、岐阜などから多くの参加者がありました。
木考塾にはいくつかの分科会があり、その中の職人分科会の担当ですが、それとは別に会員に近江八幡市在住の鈴木有先生がおられ、先生のご尽力と市役所やヴォーリス建築に関するNPO団体の方のご協力も得て、建築関係者ということで、普通では非公開になっている建物などもたくさん見せていただきました。
一昨日は京都府の美山の民家などを見ましたが、近江八幡の商家やヴォーリス建築は全く違うもの。
伝統建築が地方色豊かであることをつくづく感じさせられました。
木を活かした住まいづくりをいつも考えて仕事をしていますが、現状の枠の中での仕事になってしまいます。
全く違ったタイプの建物、それも歴史を長くつないできた建物を見ることもすごく大事であると思いました。
商家はその歴史としきたりを持って造られています。
本家と分家の造り方の違い。
それでもそのしきたりを守りながらも独自性を持って造る。
先人のいろいろな工夫が感じられました。
また、ヴォーリス建築ですが、デザインと言うより、その設計思想に共感させられました。
私たちが目指している住まいづくりに最も近いのではないかと思いました。
奇抜なデザインに走るよりも、住まい手のことを一番に考え、細やかな設計を行う。
古い文化を大切にしながらも、そこにとどまることなく新しい良さも取り入れていく。
そんな考え方のなかで、設計が行われていることが、一つ一つの建物から感じ取ることができました。
建物見学の途中では、近江八幡の郷土料理をいただきました。
以前にも食べたことがあるのですが、びわ湖の幸をはじめ、郷土の名産を使ったお弁当。
中でも鯉の飴炊きは最高でした。
一日にいくつの建物を見たでしょうか。
非常に盛りたくさんでしたが、一つ一つ心に残るものでした。
私の住んでいる大津も近江八幡に負けないぐらい歴史のある街ですが、近江八幡のように歴史的な建物が固まって残っていることはありません。各地に文化財が点在するだけで、なかなか歴史や文化を街づくりに活かすところまでは行きません。
前述の鈴木先生の言葉ですが、近江八幡の旧市街地は鉄道の駅が旧市街地から遠くに建設され、都市の発展(?)から取り残されてしまった。それが非常に幸いした。
そうですね。何でも突っ走っている間はよほど気をつかないと周りが見えなくなってしまっています。
良かれと思って開発していることが、気がついてみるととんでもないことになっている。
そういった開発に取り残されたと思っては見たが、実は非常に大事なものが残すことができたのだ。
そんなこともあるのですね。
一昨日、昨日とあちこち日本の文化が残されたところを歩いてきました。
自分達がいましていること、それも良かれと考えて行っていること。
それをもう一度見直して、確認しながら進めていくことも大事だなと思いました。
伝統構法の委員会などに参加しながら、「伝統構法」って何だということをもう一度考えることの大事さも感じています。
とりあえず、建築基準法で強制されているボルトや金物を付けないことだけを「伝統構法」と考えている状況もあるのではないかと思ったりします。
私がボルトや金物を使いたくない。ボルトや金物を使いたくない住まい手の方がおられる。
それをどうにかしたいのだという考え方。
それはそれで良いと思いますが、「伝統構法」を守ろうと声高く発言するからには、もう少し「伝統構法」の意味を噛み砕いて考えなければならないと思います。
そんな意味で、一昨日、昨日のお出かけは、非常に意味のあるものでした。
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Posted by 三和総合設計 at 09:09│Comments(0)
│変だぞ!今の住まいづくり(正)