2012年11月21日
英語教育
今朝のテレビ番組で、義務教育や英語教育の話題が出ていました。
義務教育を5歳から始めようとする話。
こちらは微妙な話ですね。
今、教えている内容をゆっくり教えるために、少し早めに始めようとするのならそれも一つかなと思います。
そうではなくて、早めた分、さらに詰め込もうというのなら絶対反対です。
もう一つの英語教育。
義務教育の開始を早めることと関係があるのかもしれません。
わが大津市長もそんな話をされていましたが、小学校から英語教育をしようとするものです。
こちらは絶対反対。
国際競争に勝ち抜くためには英語が必須であるということでしょうけれど、そんな時代は今だけだと思います。
かつて、そろばんが大人気でした。
でも電卓ができると、そろばんの出番は全くなくなりました。
英語も同じことが言えると思います。
そのうち、言葉を聴いて翻訳する高性能な機械ができるでしょう。
その機械を使いながら、色々コミニュケーションしているうちに、誰でも翻訳機無しで会話ができるようになると思います。
そんなこと(英語教育)に貴重な子どもの時間を使うより、基礎的なことを学んだり、多様な興味を持っていただくことに時間を使うべきです。
その興味の一つが英語になれば、中等、高等、大学で一生懸命学べば良いだけです。
そもそも言葉をしゃべるということは必要性が必要です。
外国に出て行くばかりが生き方ではないので、それが絶対のものというのはおかしいと思います。
成人した人に、日本の地理を聞くと全く解らない人もいる。
そんな地理なんて必要ないという人もいるかも知れませんが、日本に住んでる限り基礎的な知識でしょう。
車を運転して出かけるときも地名がわからなければ困ります。
今、教育の内容を語られる時、お金にすることを中心に語られるのが悲しい話です。
企業戦士として外国に出かけるとき英語が必須だ。
だから英語を小さい時から教えるべきだなんてね。
小学校では、みんな仲良く楽しく豊かに暮らすための教育の基礎をやって欲しい。
みんな仲良く楽しく豊かに暮らすために、英語は少なくとも必須ではないと思います。
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三和総合設計は、Forward to 1985運動に賛同しています。

義務教育を5歳から始めようとする話。
こちらは微妙な話ですね。
今、教えている内容をゆっくり教えるために、少し早めに始めようとするのならそれも一つかなと思います。
そうではなくて、早めた分、さらに詰め込もうというのなら絶対反対です。
もう一つの英語教育。
義務教育の開始を早めることと関係があるのかもしれません。
わが大津市長もそんな話をされていましたが、小学校から英語教育をしようとするものです。
こちらは絶対反対。
国際競争に勝ち抜くためには英語が必須であるということでしょうけれど、そんな時代は今だけだと思います。
かつて、そろばんが大人気でした。
でも電卓ができると、そろばんの出番は全くなくなりました。
英語も同じことが言えると思います。
そのうち、言葉を聴いて翻訳する高性能な機械ができるでしょう。
その機械を使いながら、色々コミニュケーションしているうちに、誰でも翻訳機無しで会話ができるようになると思います。
そんなこと(英語教育)に貴重な子どもの時間を使うより、基礎的なことを学んだり、多様な興味を持っていただくことに時間を使うべきです。
その興味の一つが英語になれば、中等、高等、大学で一生懸命学べば良いだけです。
そもそも言葉をしゃべるということは必要性が必要です。
外国に出て行くばかりが生き方ではないので、それが絶対のものというのはおかしいと思います。
成人した人に、日本の地理を聞くと全く解らない人もいる。
そんな地理なんて必要ないという人もいるかも知れませんが、日本に住んでる限り基礎的な知識でしょう。
車を運転して出かけるときも地名がわからなければ困ります。
今、教育の内容を語られる時、お金にすることを中心に語られるのが悲しい話です。
企業戦士として外国に出かけるとき英語が必須だ。
だから英語を小さい時から教えるべきだなんてね。
小学校では、みんな仲良く楽しく豊かに暮らすための教育の基礎をやって欲しい。
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Posted by 三和総合設計 at 07:41│Comments(1)
│変だぞ!今の住まいづくり(正)
この記事へのコメント
実況放送・現状報告の内容ばかりを述べたのでは、意見にはならない。前者は現実 (現在時制) の内容であり、後者は非現実 (未来時制) の内容である。
日本人は、未来の世界を考える力に乏しい。
未来の世界を過不足なく考えるには、未来時制の文章が必要。
日本語には、時制がない。
日本人の脳裏には、未来の世界がない。一寸先は闇である。
‘あるべき姿’ (非現実) の内容を ‘今ある姿’ (現実) として語ったら、それは真っ赤なウソとなる。
それは、ちょうど、時制のあるサンスクリットで書かれている経典を、時制のない中国語に翻訳するようなものであろう。
特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には時制がない。
だから、特亜三国人には時制のある印欧語の理解が難しい。
考えの内容が、現世の中に戸閉められている。
‘来たるべき世’ の内容を脳裏に展開することが難しい。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
日本人は、未来の世界を考える力に乏しい。
未来の世界を過不足なく考えるには、未来時制の文章が必要。
日本語には、時制がない。
日本人の脳裏には、未来の世界がない。一寸先は闇である。
‘あるべき姿’ (非現実) の内容を ‘今ある姿’ (現実) として語ったら、それは真っ赤なウソとなる。
それは、ちょうど、時制のあるサンスクリットで書かれている経典を、時制のない中国語に翻訳するようなものであろう。
特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には時制がない。
だから、特亜三国人には時制のある印欧語の理解が難しい。
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Posted by noga at 2012年11月27日 09:26