2012年12月17日
マイノリティ(少数派)がいつまでたってもマイノリティなわけ
皆さんもご存じのとおり、衆議院選挙は自公合わせて320議席を超える結果となりました。
いつも思うことですが、自分が考えていることはそんなに間違っていないと思うのですが、結果を見ると完全にマイノリティです。
私の周りを見ても、同じような考え方の人が多く、今回の選挙で自民党を誰が押しているのだろうと思うほどです。
320議席というのは小選挙区制度の持つ問題点から出てきている数字だと思いますが、最も多くの支持を集めたのは自民党であることは間違いないことだと思います。
原発問題、軍備の問題など、次の世代を考えるととても政権を託したくないと思うのですが、結果は全く逆でした。
これはどういうことかと考えると、多くの人の判断は、内容に権力が伴わないとダメということかなと思います。
いくら、言っていることが良くても権力を持っていない者には何もできない。
その権力と戦ってまで自分で頑張るということではなく、権力を持っている人の中で自分に一番近い人を選び、その人に救ってもらおうというような感じかなと思います。(そんなことはあり得ないのですが。。。)
たとえば、私たちが日ごろ業務している木造住宅の世界。
大工さんが手加工して、近くの山の木で家を建てるということを考えてみるとよくわかります。
仕事がないとぼやいている大工さんたちに話を聞くと、そりゃ大工が手加工して近くの山の木で家を建てるのが一番という人が多い(技術のない人は別ですが)。
それじゃ、そういう風になるように自分たちが頑張るかというとそうでもない。
割とあきらめムードです。
逆に、そういった方向に頑張っている大工さんを見ると、住宅そのものをそんな風に変えたい、戻したいとまで考えている人は少なく、自分がそういう仕事をやり続けられたらよい。一生懸命動こうとしないほかの大工さんの批判をするばかり。
そうすると、ほかの大工さんは先頭を切って頑張っている大工さんを頼りにすることはできないわけです。
結局、なにが良いかということはあっても、どうして食べていくかのほうに気が行ってしまうのでしょう。
今回の選挙では、原発やTPPなどの問題にいろいろな思いがある人は多かったと思いますが、自分が動いてどうにかしたいという人は少なかったということではないでしょうか。
原発反対、TPP反対を掲げる党の中で、将来の生活の安泰を託せる程の党がない。自分たちが苦しんででも変えたいという国民はかなり少ないというのが答えかなと思います。
いつも、一人一人が変われば社会は変わるという言葉に疑問を持っています。
一人一人が少しぐらい変わっても、全体は変わらない。
全体を変えたいという気持ちの受け皿になるベースが必要なのだと思います。
動かない国民もよくないかもしれないけれど、動けない国民の気持ちがわかる党、しかも現実性のある考え方で一定の力を持つ人が出てこない限り、日本は変わらないでしょうね。
そういった面では、第3局というのは惜しかったですね。
でも、野田首相の第3局つぶしともいえる解散のおかげで、意見をまとめることができませんでした。
小異を捨てて集まることができない限り、マイノリティはいつまでたってもマイノリティで、自分だけが希望する生き方を模索する方法しかない状況はさみしい話です。
誰か素晴らしい人材が出てきませんかねー。
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三和総合設計は、Forward to 1985運動に賛同しています。

いつも思うことですが、自分が考えていることはそんなに間違っていないと思うのですが、結果を見ると完全にマイノリティです。
私の周りを見ても、同じような考え方の人が多く、今回の選挙で自民党を誰が押しているのだろうと思うほどです。
320議席というのは小選挙区制度の持つ問題点から出てきている数字だと思いますが、最も多くの支持を集めたのは自民党であることは間違いないことだと思います。
原発問題、軍備の問題など、次の世代を考えるととても政権を託したくないと思うのですが、結果は全く逆でした。
これはどういうことかと考えると、多くの人の判断は、内容に権力が伴わないとダメということかなと思います。
いくら、言っていることが良くても権力を持っていない者には何もできない。
その権力と戦ってまで自分で頑張るということではなく、権力を持っている人の中で自分に一番近い人を選び、その人に救ってもらおうというような感じかなと思います。(そんなことはあり得ないのですが。。。)
たとえば、私たちが日ごろ業務している木造住宅の世界。
大工さんが手加工して、近くの山の木で家を建てるということを考えてみるとよくわかります。
仕事がないとぼやいている大工さんたちに話を聞くと、そりゃ大工が手加工して近くの山の木で家を建てるのが一番という人が多い(技術のない人は別ですが)。
それじゃ、そういう風になるように自分たちが頑張るかというとそうでもない。
割とあきらめムードです。
逆に、そういった方向に頑張っている大工さんを見ると、住宅そのものをそんな風に変えたい、戻したいとまで考えている人は少なく、自分がそういう仕事をやり続けられたらよい。一生懸命動こうとしないほかの大工さんの批判をするばかり。
そうすると、ほかの大工さんは先頭を切って頑張っている大工さんを頼りにすることはできないわけです。
結局、なにが良いかということはあっても、どうして食べていくかのほうに気が行ってしまうのでしょう。
今回の選挙では、原発やTPPなどの問題にいろいろな思いがある人は多かったと思いますが、自分が動いてどうにかしたいという人は少なかったということではないでしょうか。
原発反対、TPP反対を掲げる党の中で、将来の生活の安泰を託せる程の党がない。自分たちが苦しんででも変えたいという国民はかなり少ないというのが答えかなと思います。
いつも、一人一人が変われば社会は変わるという言葉に疑問を持っています。
一人一人が少しぐらい変わっても、全体は変わらない。
全体を変えたいという気持ちの受け皿になるベースが必要なのだと思います。
動かない国民もよくないかもしれないけれど、動けない国民の気持ちがわかる党、しかも現実性のある考え方で一定の力を持つ人が出てこない限り、日本は変わらないでしょうね。
そういった面では、第3局というのは惜しかったですね。
でも、野田首相の第3局つぶしともいえる解散のおかげで、意見をまとめることができませんでした。
小異を捨てて集まることができない限り、マイノリティはいつまでたってもマイノリティで、自分だけが希望する生き方を模索する方法しかない状況はさみしい話です。
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Posted by 三和総合設計 at 10:46│Comments(0)
│変だぞ!今の住まいづくり(正)