2009年10月21日
自然素材の美しさ
ブログを始めて長くなります。以前にもこのようなことを書いたように思いますが、最近、思うことがあり、再度書いてみたいと思います。
最近の日本では美しいということが勘違いされているように思います。
美しいものを選ぶかどうか、これは個人の自由のように思われてると思いますが、私はそれは間違いだと思います。
特に一般の人に見えるもの、住宅で言えば外観は公共のものと考えるべきで、もちろん美しさの主観は人によって違うのですが、その人なりに精一杯美しさを考える必要があると思います。
しかし、最近の住宅の外観は、あまりに周囲のことに配慮が足りない。
しかも、自己主張が強くて、見るに耐えないものが多いと思います。
遠い昔の話ですが、大学の学生時代、学生が設計した建物の模型を製図室に一同にならべたことがありました。
個々の建物を学生の名簿の順に並べると、その街は雑然とした感じになるのですが、同じような建物を集めて街区を造ると、なんともいえない統一感ができ、個々の建物は形がそれぞれ違うのですが、町全体としては美しい街になったのを覚えています。
この統一感ということは、歴史的町並みを見たら解りますね。
それぞれの建物は全く同じと言うわけではないのですが、大体同じようなつくりをしていて、それぞれの職人さんが工夫をして作っています。ここに微妙な統一感とそれぞれの個性が表れており、それが街の美しさとなっているのですね。
統一感ということで言えば、大手ハウスメーカーが作る団地の建物はあたりまえのように統一されていますね。
それでも美しいと感じることはない。むしろ違和感を感じるほうか多いと思います。
なぜなのでしょう。
それは微妙な違いがないということです。
先ほども書いたように、職人が手づくりで造る場合、職人の造り方が同じようなものを造っても微妙に違うし、少しずつの工夫をします。
それに引き換え、メーカーの建物は、工業化して作られているため、微妙なところまで待ったく一緒。
もちろん職人が工夫する余地がないということです。
工業化材料の問題は、職人の工夫の余地が全くない。自然の材料は、素材自体が微妙な違いがあり、職人が微妙な工夫をしようとしなくても、うまく微妙な違いを見せてくれるのです。
解りやすい話をすると、工業化で作られたサイディングのパネルのタイル模様と本当のタイルの違いです。
サイディングのタイルが美しいと感じられることがあるでしょうか。
目地の深みも一定で、単調に作られたレンガ模様、横浜や函館の古いレンガの倉庫郡は観光の名所になっているけれど、大きな団地のサイディングのタイル模様が古くなっても、美しいなあと見学に行く人はないでしょう。
日本人に美的感覚があるのかないのか。
昔の建物などをみると、繊細な美しさがあるので、日本人は美的感覚があり、最近、それを失ってしまったのだという人もありますが、日本の建物が美しかったのは、自然素材を使うから、職人の施工の差が出る素材を使うからというのが一番大きな要因ではないかと思います。
もちろん工業化製品を使っても、美しいものは造れると思いますが、自然素材を使うより数段難しい。
考えに考えを尽くさないと、美しいものは出来ないと思います。
最近の住宅は、安さを追及するため、工業化製品を多用する。
その割には、考えて造るということを放棄している。
営業マンの人がプランし、設計者は許認可を取るだけ。
そんなことが横行しています。
美しい街を求めて、古い町並みに観光へ出かける人が多い中で、自分達が住んでいる地域は、知らず知らずの間に美しくない街を造っている。
工業化製品が少なかった時代に造った住宅。高級でもない家ですが、周囲に迷惑をかけているようなデザインの家は殆どないと思いますが、最近の建物は工業化製品を使い、少しでも個性を出そうとへんな色使いをしたりするため、地域の景観を壊している建物があまりに多いのはすごく嘆かわしいと思っています。
彦根にあるキャッスルロード。
彦根城の周辺の古い町を再現したような街ですが、少し違和感がある。
統一されすぎているのか、発注が一時だったので、材料が同じものばかりなのか。
いろいろ考えすぎるより、もっと自然素材を使い、職人に任せて建物をつくることをすれば、街は落ち着いた美しさを取り戻すと思うのですが、いかがでしょうか。
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最近の日本では美しいということが勘違いされているように思います。
美しいものを選ぶかどうか、これは個人の自由のように思われてると思いますが、私はそれは間違いだと思います。
特に一般の人に見えるもの、住宅で言えば外観は公共のものと考えるべきで、もちろん美しさの主観は人によって違うのですが、その人なりに精一杯美しさを考える必要があると思います。
しかし、最近の住宅の外観は、あまりに周囲のことに配慮が足りない。
しかも、自己主張が強くて、見るに耐えないものが多いと思います。
遠い昔の話ですが、大学の学生時代、学生が設計した建物の模型を製図室に一同にならべたことがありました。
個々の建物を学生の名簿の順に並べると、その街は雑然とした感じになるのですが、同じような建物を集めて街区を造ると、なんともいえない統一感ができ、個々の建物は形がそれぞれ違うのですが、町全体としては美しい街になったのを覚えています。
この統一感ということは、歴史的町並みを見たら解りますね。
それぞれの建物は全く同じと言うわけではないのですが、大体同じようなつくりをしていて、それぞれの職人さんが工夫をして作っています。ここに微妙な統一感とそれぞれの個性が表れており、それが街の美しさとなっているのですね。
統一感ということで言えば、大手ハウスメーカーが作る団地の建物はあたりまえのように統一されていますね。
それでも美しいと感じることはない。むしろ違和感を感じるほうか多いと思います。
なぜなのでしょう。
それは微妙な違いがないということです。
先ほども書いたように、職人が手づくりで造る場合、職人の造り方が同じようなものを造っても微妙に違うし、少しずつの工夫をします。
それに引き換え、メーカーの建物は、工業化して作られているため、微妙なところまで待ったく一緒。
もちろん職人が工夫する余地がないということです。
工業化材料の問題は、職人の工夫の余地が全くない。自然の材料は、素材自体が微妙な違いがあり、職人が微妙な工夫をしようとしなくても、うまく微妙な違いを見せてくれるのです。
解りやすい話をすると、工業化で作られたサイディングのパネルのタイル模様と本当のタイルの違いです。
サイディングのタイルが美しいと感じられることがあるでしょうか。
目地の深みも一定で、単調に作られたレンガ模様、横浜や函館の古いレンガの倉庫郡は観光の名所になっているけれど、大きな団地のサイディングのタイル模様が古くなっても、美しいなあと見学に行く人はないでしょう。
日本人に美的感覚があるのかないのか。
昔の建物などをみると、繊細な美しさがあるので、日本人は美的感覚があり、最近、それを失ってしまったのだという人もありますが、日本の建物が美しかったのは、自然素材を使うから、職人の施工の差が出る素材を使うからというのが一番大きな要因ではないかと思います。
もちろん工業化製品を使っても、美しいものは造れると思いますが、自然素材を使うより数段難しい。
考えに考えを尽くさないと、美しいものは出来ないと思います。
最近の住宅は、安さを追及するため、工業化製品を多用する。
その割には、考えて造るということを放棄している。
営業マンの人がプランし、設計者は許認可を取るだけ。
そんなことが横行しています。
美しい街を求めて、古い町並みに観光へ出かける人が多い中で、自分達が住んでいる地域は、知らず知らずの間に美しくない街を造っている。
工業化製品が少なかった時代に造った住宅。高級でもない家ですが、周囲に迷惑をかけているようなデザインの家は殆どないと思いますが、最近の建物は工業化製品を使い、少しでも個性を出そうとへんな色使いをしたりするため、地域の景観を壊している建物があまりに多いのはすごく嘆かわしいと思っています。
彦根にあるキャッスルロード。
彦根城の周辺の古い町を再現したような街ですが、少し違和感がある。
統一されすぎているのか、発注が一時だったので、材料が同じものばかりなのか。
いろいろ考えすぎるより、もっと自然素材を使い、職人に任せて建物をつくることをすれば、街は落ち着いた美しさを取り戻すと思うのですが、いかがでしょうか。
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Posted by 三和総合設計 at 08:06│Comments(0)
│変だぞ!今の住まいづくり(正)