2010年12月23日
平和な祝日

今日は祝日だったんですよね。
我が家は、すっかり平日お仕事モードで始まりました。
平成になってからもう22年も経ってますが、今日の天皇誕生日は頭にインプットされていない感じです(笑)
さて、今朝の新聞に今日という日が、別の大きな出来事があった日でもあることが書かれていたのでそのお話を。
今から62年前の今日、東京の巣鴨拘置所で、東京裁判で死刑判決を受けた東条英機を始めとするA級戦犯7人の死刑が執行されたそうです。
なぜ今日だったのか・・・
確かではないけれどGHQのある思惑があったのではないかと言う説があるそうです。
当時、GHQは死後の英雄扱いを避けるために火葬後は遺灰を散骨するように指示したりしたそうです。
実際には、有志がこっそり持ち出して、ある場所に納骨したみたいです。
その場所には石碑があり、観光に訪れる人もいるとか。
GHQが心配した英雄扱いでのお参りではなく、どういう方の石碑かも理解せずに単純に観光地としてお参りしている若者も多いようで・・・・
いいのか悪いのか・・・。
そして、本題のなぜ今日になったのか。
GHQの思惑としては、日本に侵略戦争であったことを思い起こさせるために、死刑執行を明仁皇太子(今の天皇)の誕生日にあわせたのではないかという説があるそうです。
奇しくもその後の日本のこのシーズンは、クリスマスムード一色。
派手なイルミネーションにクリスマスソングが流れ、戦争のことなどすっかり無かったことのような雰囲気。
GHQの思惑は、大はずれ。
私自身も物心ついてから、そんな日であったなんて感じたことは全くありませんでした。
平和だったんですね。
平和であること以上のしあわせは無いとは思いますが、ただ単純にこの平和がいつまでも続きますようにと願うだけで一日を終えてしまうだけでいいのかな。
そんなことを考えさせられる記事でした。
ちゃんと知って、ちゃんと考えて、ちゃんと平和を守るようにしたいですね。
平和ボケなんてことにならないように。
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Posted by 三和総合設計 at 10:12│Comments(2)
│女性建築士のひとりごと(陽子)
この記事へのコメント
日本人に関する '有ること' と '無いこと'。
感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。
現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。
実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。
現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。
「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。
丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。
学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。
民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。
理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。
恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。
「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。
この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。
現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。
実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。
現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。
「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。
丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。
学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。
民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。
理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。
恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。
「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。
この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
Posted by noga at 2010年12月25日 21:05
noga さん
日本はいつからこんな国になったのか。
昔はそんなことはなかったのか。昔からそうなのか。
戦後の経済成長のおかげで、物質的には豊かになりました。
そろそろ方向を変えてほしいのですが、未だにお金儲けに走っています。
物事の幸せをお金に換算するのはやめたほうが良いのですが、教育も含めて社会の構造がそうなってしまっています。
まともな日本になってほしいと思いますが、なかなか難しい。
でもあきらめたくはありません。
とりあえず、物事を冷静に見ることをできるような社会になりたい。
環境をネタに商売を考えるような偽者を偽者と見抜く力だけはほしいと思います。
日本はいつからこんな国になったのか。
昔はそんなことはなかったのか。昔からそうなのか。
戦後の経済成長のおかげで、物質的には豊かになりました。
そろそろ方向を変えてほしいのですが、未だにお金儲けに走っています。
物事の幸せをお金に換算するのはやめたほうが良いのですが、教育も含めて社会の構造がそうなってしまっています。
まともな日本になってほしいと思いますが、なかなか難しい。
でもあきらめたくはありません。
とりあえず、物事を冷静に見ることをできるような社会になりたい。
環境をネタに商売を考えるような偽者を偽者と見抜く力だけはほしいと思います。
Posted by 岩波 正 at 2010年12月26日 12:39