2012年03月17日
便利な分だけ不便

こちらは雨でちょっとうんざり顔だったのですが、人生の中のひと区切りを終えた子供たちにとっては、すがすがしい気分だったのでしょうね。
希望に夢膨らむような気分のお裾分けがちょっとほしいものです。
先日、新聞の読者投稿で、便利だけど不便になっちゃったという60才くらいの主婦の方が書かれたお話を見つけました。
話は、無洗米を使いながらのひとりごとみたいな感じで書かれていました。
記憶がちょっと曖昧ですが、内容は・・・
無洗米を使うようになって、今まできれいになるまで一生懸命お米を洗っていたが、ちょっと洗うだけで済むようになって楽になった。使う水の量も少なくなって環境にもいいのだろう。
けれど・・・・
お米のとぎ汁で大根の下ゆでができなくなったし、洗い物にも洗顔しも使えなくなった。美肌効果があったかどうかはわからないが、鍋や食器の汚れはよく落ちたのに。植木の水遣りにも掃除にも使えなくなった。
だから私は今、便利な分だけ不便な思いをしている。
とこんな感じだったと思います。
最後には、本当は不便なことが便利になったというべきなんだろうな・・・と書かれていました。
私たちは今、昔に比べたらとても便利な生活になっています。
でも本当に不便な分だけ便利になったのでしょうか?
この記事のように便利な分だけ不便な思いをしていることに気がついていないだけかもしれません。
それなのに、もっと便利に!もっと効率的に!と求めているというか、求めるような気分にさせられているのか。そしてその便利さに隠された不便さや罪な部分を罪の意識を感じさせない言葉でごまかされ、それを鵜呑みにしていることもたくさんあるような気がします。
環境にいいなんて言葉を持ち出されたら、便利になりながらいいことしてるっていう自己満足感満載になりますものね。
さて、自分の身の回りにも便利さの代償に引き受けている不便さはないかな?
気づいていないことがたくさんありそうです。
あっ、あった!
移動はほとんど車、仕事は立って手で書いていた図面もパソコンになって完璧椅子に座ってのデスクワーク。
この便利さのおかげで腰を痛めて、かなり苦しんでいます。。。。
どうにかせねば!
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Posted by 三和総合設計 at 14:41│Comments(0)
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