
2015年01月24日
自分の目で見る
最近、デジタルカメラは画面を見ながら撮影するものが多いですね。
昔、写真部に所属した私としては、どうもそのスタイルが気に入りません。
一眼レフカメラの良いところは、写したいところにグッと迫れるところだと思います。
レンズを望遠レンズに交換したときなど、遠近効果も手伝って特にそんな感じがします。
もちろん、カメラのディスプレイも同じような画像が表現されているのだと思いますが、それは自分の目で見るのとは別で、表現された絵を見ているだけなのです。
それで、自分の心に響いてこないのではないかと思います。
小さなデジカメは持ち歩くのに便利だし、記録用に使うときは重宝していますが、やはりこれといった写真を撮るときはやはり一眼レフかなと思います。(あまり時間がないので、竣工写真ぐらいしか使えていませんが)
デジカメの映像と同じように、物選びも同じような感じではないでしょうか。
住まいを造ろうとするとき、出来上がったパンフレットや展示場、雑誌の住まいなどを参考にされますが、自分がその家に住んだ時のことをイメージされるでしょうか。
なかなか難しいことなので、私たちのような設計事務所が存在するのですが、どちらにしても住まい手の方々の生活観、住まい方が住まい作りには重要になります。
私も自分の住まいを展示ハウスのような形で見てもらっています。
木の家の出来上がったばかりの写真が雑誌に載せられていますが、木の家の勝負は何年か経った後です。
生活観があってこその良さがあります。
おしゃれで、ひとつの家具も置いていない、庇もないシンプルな家に住むことを想像してください。
もちろん、そんな家を選択することは自由ですが、ほとんどの方は生活というものを深く考えず、デジカメのディスプレイに写った姿で選んでおられるのではないでしょうか。
今日は、土曜日。
毎週のように新聞に折り込まれる家電量販店の広告を見て、そんなことを考えました。
考えすぎも良くありませんが、住まいを建てるということは一生のことです。
長年たって、美しく汚れる家。それが自然素材の家であり、日本の気候風土を考え長い庇を持つ家なのです。
雨や埃で汚れ、色落ちした何年か先の住まいの姿にグッと迫って想像してみてください。
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昔、写真部に所属した私としては、どうもそのスタイルが気に入りません。
一眼レフカメラの良いところは、写したいところにグッと迫れるところだと思います。
レンズを望遠レンズに交換したときなど、遠近効果も手伝って特にそんな感じがします。
もちろん、カメラのディスプレイも同じような画像が表現されているのだと思いますが、それは自分の目で見るのとは別で、表現された絵を見ているだけなのです。
それで、自分の心に響いてこないのではないかと思います。
小さなデジカメは持ち歩くのに便利だし、記録用に使うときは重宝していますが、やはりこれといった写真を撮るときはやはり一眼レフかなと思います。(あまり時間がないので、竣工写真ぐらいしか使えていませんが)
デジカメの映像と同じように、物選びも同じような感じではないでしょうか。
住まいを造ろうとするとき、出来上がったパンフレットや展示場、雑誌の住まいなどを参考にされますが、自分がその家に住んだ時のことをイメージされるでしょうか。
なかなか難しいことなので、私たちのような設計事務所が存在するのですが、どちらにしても住まい手の方々の生活観、住まい方が住まい作りには重要になります。
私も自分の住まいを展示ハウスのような形で見てもらっています。
木の家の出来上がったばかりの写真が雑誌に載せられていますが、木の家の勝負は何年か経った後です。
生活観があってこその良さがあります。
おしゃれで、ひとつの家具も置いていない、庇もないシンプルな家に住むことを想像してください。
もちろん、そんな家を選択することは自由ですが、ほとんどの方は生活というものを深く考えず、デジカメのディスプレイに写った姿で選んでおられるのではないでしょうか。
今日は、土曜日。
毎週のように新聞に折り込まれる家電量販店の広告を見て、そんなことを考えました。
考えすぎも良くありませんが、住まいを建てるということは一生のことです。
長年たって、美しく汚れる家。それが自然素材の家であり、日本の気候風土を考え長い庇を持つ家なのです。
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2015年01月23日
伝統って?
「伝統」ってなんだろうと考えることありませんか。
最近、国宝、重要文化財、県や市の建造物の文化財の耐震診断にかかわることがたびたびあります。
診断をしてみると、少し耐震性が足りないという結果が多いのですが、一般住宅と違い、それがすぐに問題になるほどのことではないと思います。
しかし、耐震性が不足ということになれば、必ず補強計画を立てるということになります。
補強する建物が文化財ですから、補強方法も何でも良いというわけにはいきません。
特に重要文化財級になると、できればひとつも触りたくないという話が出てきますが、そんな夢のような話は無理です。
そういう時にどういう話になるかというと、見えないところで補強する。文化財の部材に傷つけないような形で補修する。
それでも難しいときは、鉄骨などで耐震性を確保し、それに寄りかかるような形で耐震性を確保するという感じです。
こんなことを話していると本当にそれで良いのだろうかと思うことがあります。
できるだけ見えないところで補強するということは良いと思いますが、文化財の部材にほぞなどの仕口を新たに作ったりしないために、本来の構造とは別の形の構造で補強するという方法は何か違うような気がします。
ご存知の形も多いと思いますが、昔の建物は木と木の組み合わせで持たせてあります。
土壁なども長い歴史のなかで見れば新しい耐震要素です。
ですから、伝統を守るような形で補強しようとすると、木と木の組み合わせを増やすしか方法がないのです。
まあ、補強しようとしている建物が、重要文化財などとなると、昔の形を標本のような形で残すことに意味があるので、鉄骨などの補強も仕方がないのかも知れません。
先日、ヘリテージマネージャーの講習会で昔の建物の話を聞きました。
平等院の建物は平安時代に建てられた建物ですが、鎌倉時代に足元に貫を入れるような形で補強されているそうです。
その形を両方平行して文化財として残しているのですから、現代であっても、その建物の特質を失わない形で補強することは問題ないのではないかと思ったりします。
結局、何が違うのか。
平等院は平安時代も鎌倉時代も使われていたということ。
でも、最近の平等院は使われているのだけれど、保存されているのだということなのではないでしょうか。
建築物を語るとき、伝統構法という言葉がよく出てきます。
何が伝統構法なのか、昔の形をそのまま残していくのが伝統構法なのかというとそれは違うと思います。
先ほども書いたように、昔の建物を博物館的に残すのならそのままということになりますが、本当の伝統というものは生活と結びついたものだと思います。
ですから、現在の生活に必要な機能が組み込まれていかなければ意味がないと思います。
しかし、なぜ伝統構法と現代工法が対比して語られるのか。
それは現代工法の住宅がお金儲けの商品となってしまっているからです。
伝統構法は日本人の持つ知恵、材料をできる限り活用して作られてきました。
しかし、現代の住まいは、ハウスメーカーなどの進出によりお金が儲かればよいという工法に成り下がったといってもよいような気がします。
今回は現代工法の問題については書きませんが、伝統構法も変わるべきところは変わらなければならないと思っています。
最近、伝統構法の建物の温熱環境について話題が出てきています。
これは2020年に建築基準法が改正され、現在存在する伝統構法の建物がそのままの形で建てられなくなるためです。
伝統構法で建てられる建物の数が少ないから関係ないというわけにはいきません。
世の中、住まい手のためを考えたというより、お金儲けを優先した建物が多くなってきた状況を考えると、何とか伝統構法を守れるような形を作らなければなりません。
逆に、伝統構法のほうも、法律が目的とするところを充分理解し、変わらなければならないと思います。
そうでないと、先ほど書いたような保存を目的とした建物となってしまいます。
私は「伝統」というものはその時代の生活の知恵を組み入れていかなければならないし、材料も自然素材でなければいけないということでもないと思います。
その時代の技術を入れ込んだ形の住まい。
それが次の世代で伝統構法と評価される建物になるのだと思います。
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最近、国宝、重要文化財、県や市の建造物の文化財の耐震診断にかかわることがたびたびあります。
診断をしてみると、少し耐震性が足りないという結果が多いのですが、一般住宅と違い、それがすぐに問題になるほどのことではないと思います。
しかし、耐震性が不足ということになれば、必ず補強計画を立てるということになります。
補強する建物が文化財ですから、補強方法も何でも良いというわけにはいきません。
特に重要文化財級になると、できればひとつも触りたくないという話が出てきますが、そんな夢のような話は無理です。
そういう時にどういう話になるかというと、見えないところで補強する。文化財の部材に傷つけないような形で補修する。
それでも難しいときは、鉄骨などで耐震性を確保し、それに寄りかかるような形で耐震性を確保するという感じです。
こんなことを話していると本当にそれで良いのだろうかと思うことがあります。
できるだけ見えないところで補強するということは良いと思いますが、文化財の部材にほぞなどの仕口を新たに作ったりしないために、本来の構造とは別の形の構造で補強するという方法は何か違うような気がします。
ご存知の形も多いと思いますが、昔の建物は木と木の組み合わせで持たせてあります。
土壁なども長い歴史のなかで見れば新しい耐震要素です。
ですから、伝統を守るような形で補強しようとすると、木と木の組み合わせを増やすしか方法がないのです。
まあ、補強しようとしている建物が、重要文化財などとなると、昔の形を標本のような形で残すことに意味があるので、鉄骨などの補強も仕方がないのかも知れません。
先日、ヘリテージマネージャーの講習会で昔の建物の話を聞きました。
平等院の建物は平安時代に建てられた建物ですが、鎌倉時代に足元に貫を入れるような形で補強されているそうです。
その形を両方平行して文化財として残しているのですから、現代であっても、その建物の特質を失わない形で補強することは問題ないのではないかと思ったりします。
結局、何が違うのか。
平等院は平安時代も鎌倉時代も使われていたということ。
でも、最近の平等院は使われているのだけれど、保存されているのだということなのではないでしょうか。
建築物を語るとき、伝統構法という言葉がよく出てきます。
何が伝統構法なのか、昔の形をそのまま残していくのが伝統構法なのかというとそれは違うと思います。
先ほども書いたように、昔の建物を博物館的に残すのならそのままということになりますが、本当の伝統というものは生活と結びついたものだと思います。
ですから、現在の生活に必要な機能が組み込まれていかなければ意味がないと思います。
しかし、なぜ伝統構法と現代工法が対比して語られるのか。
それは現代工法の住宅がお金儲けの商品となってしまっているからです。
伝統構法は日本人の持つ知恵、材料をできる限り活用して作られてきました。
しかし、現代の住まいは、ハウスメーカーなどの進出によりお金が儲かればよいという工法に成り下がったといってもよいような気がします。
今回は現代工法の問題については書きませんが、伝統構法も変わるべきところは変わらなければならないと思っています。
最近、伝統構法の建物の温熱環境について話題が出てきています。
これは2020年に建築基準法が改正され、現在存在する伝統構法の建物がそのままの形で建てられなくなるためです。
伝統構法で建てられる建物の数が少ないから関係ないというわけにはいきません。
世の中、住まい手のためを考えたというより、お金儲けを優先した建物が多くなってきた状況を考えると、何とか伝統構法を守れるような形を作らなければなりません。
逆に、伝統構法のほうも、法律が目的とするところを充分理解し、変わらなければならないと思います。
そうでないと、先ほど書いたような保存を目的とした建物となってしまいます。
私は「伝統」というものはその時代の生活の知恵を組み入れていかなければならないし、材料も自然素材でなければいけないということでもないと思います。
その時代の技術を入れ込んだ形の住まい。
それが次の世代で伝統構法と評価される建物になるのだと思います。
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2015年01月20日
公?の横暴
大韓航空機内のナッツ事件の報道で韓国の「甲の横暴」という話がされていました。
強いものが弱いものに対して横暴な行為をすることをいう言葉だそうです。
日本でもありそうなことですね。
一般的に大きな企業が中小企業に対し厳しい条件を突付けたりすることが多いようですが、逆に「お客様は神様です」的な発想で、返品不可能な商品を無理やり返品させたり、腹が立った警備員を客が土下座させたような例が報道されていました。
日本は韓国ほどひどくないのかも知れませんが、私は「公の横暴」があるのではないかと思います。
最近では一般的に何をするのも法律でがんじがらめにされることになりました。
悪いやつらを取り締まるための法律のはずですが、本当に悪いやつらは法律の穴を探して行動するのですから、法律ができたときはその法律に接触するようなところにはいないで、新たに法律に定められていないところで何か儲け口を考えたりします。
そうなると、残された法律は、善良な市民を取り締まるだけ。
もちろん善良な市民はそんな法律で取り締まられるようなことはしないので、引っかかることもない。
でも、その法律が想定していない状況で、問題ない事象でありながら法律に引っかかったりすることが残されます。
善良な市民は手続きなど煩雑さを強いられ、場合によっては不合理な法律の指導にあったりするのです。
それだけなら仕方がないことかもしれませんが(本当は仕方がないことはない。法律を修正してほしい)、そのゆがんだ法律を知りながら極当然だというような形で指導する「公僕」がいるのです。
申請などの許可権者になれば、何か権力を持った気になるようです。
公務員というものは、許可権者であっても市民と対等。
悪いことには毅然として行動していただければ結構ですが、善良な市民を法律を隅まで穿り出して常識とは違う判断をすることはやめてほしいと思うことがたびたびあります。
その時にいつも話が出ることですが、地方公務員は国などが決めた法律などに基づき判断するだけ。あなたの言う不合理さは理解できるが私どもではどうにもならないという発言。
あまりにも馬鹿にした発言です。
法律などの矛盾を知りながら、市民にはその法律を押し付け、国にはその矛盾を修正してほしいというような要望を出すことはしない。
むしろ、その矛盾があるがゆえに緩やかな運用がされていたものを、さらに厳しく指導したりして、権力を得たことを誇らしげにしている公僕がいます。
いつも言っていることですが、悪いやつらが出てくると、それを取り締まる法律ができる。
その法律ができるころには、悪いやつらはその場にいないのですが、その法律に違反していないかどうかの手続きだけが残る。
その法律の許可申請を審査するために公務員が増える。
こんな風に市民の税金が無駄に使われてしまいます。
「公」というのは公平な判断をするためのもの。
市民や申請を提出したりする人を常に悪者であるとの判断で行動することではありません。
こういったことは、行政庁に限ったことだけではなく、限りなく「公」に近い民間企業でも起こることです。
甲の横暴も困ったことですが、公の横暴も何とかしてほしいものです。
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強いものが弱いものに対して横暴な行為をすることをいう言葉だそうです。
日本でもありそうなことですね。
一般的に大きな企業が中小企業に対し厳しい条件を突付けたりすることが多いようですが、逆に「お客様は神様です」的な発想で、返品不可能な商品を無理やり返品させたり、腹が立った警備員を客が土下座させたような例が報道されていました。
日本は韓国ほどひどくないのかも知れませんが、私は「公の横暴」があるのではないかと思います。
最近では一般的に何をするのも法律でがんじがらめにされることになりました。
悪いやつらを取り締まるための法律のはずですが、本当に悪いやつらは法律の穴を探して行動するのですから、法律ができたときはその法律に接触するようなところにはいないで、新たに法律に定められていないところで何か儲け口を考えたりします。
そうなると、残された法律は、善良な市民を取り締まるだけ。
もちろん善良な市民はそんな法律で取り締まられるようなことはしないので、引っかかることもない。
でも、その法律が想定していない状況で、問題ない事象でありながら法律に引っかかったりすることが残されます。
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それだけなら仕方がないことかもしれませんが(本当は仕方がないことはない。法律を修正してほしい)、そのゆがんだ法律を知りながら極当然だというような形で指導する「公僕」がいるのです。
申請などの許可権者になれば、何か権力を持った気になるようです。
公務員というものは、許可権者であっても市民と対等。
悪いことには毅然として行動していただければ結構ですが、善良な市民を法律を隅まで穿り出して常識とは違う判断をすることはやめてほしいと思うことがたびたびあります。
その時にいつも話が出ることですが、地方公務員は国などが決めた法律などに基づき判断するだけ。あなたの言う不合理さは理解できるが私どもではどうにもならないという発言。
あまりにも馬鹿にした発言です。
法律などの矛盾を知りながら、市民にはその法律を押し付け、国にはその矛盾を修正してほしいというような要望を出すことはしない。
むしろ、その矛盾があるがゆえに緩やかな運用がされていたものを、さらに厳しく指導したりして、権力を得たことを誇らしげにしている公僕がいます。
いつも言っていることですが、悪いやつらが出てくると、それを取り締まる法律ができる。
その法律ができるころには、悪いやつらはその場にいないのですが、その法律に違反していないかどうかの手続きだけが残る。
その法律の許可申請を審査するために公務員が増える。
こんな風に市民の税金が無駄に使われてしまいます。
「公」というのは公平な判断をするためのもの。
市民や申請を提出したりする人を常に悪者であるとの判断で行動することではありません。
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2015年01月18日
大学入試センター試験
昨日から、大学入試センター試験が行われていますね。
私の大学入試は今から40年前のこと。そんなに古い記憶でもなく、学生のころの思いを持ち続けている自分にとっては懐かしい記憶です。
最近の受験を見て、つくづく最近の高校生はかわいそうだなと思っています。
私たちのころは、入試試験は一発勝負。
センター試験のように広く浅く勉強をしなくても、大学に入る道はありました。
しかし、最近ではいくつもの山を越えないとゴールに届かない。
あちこちでふるい落とされて、やっとこさ大学に入れる。
その結果、まじめで従順で、平均的に優秀な人たちが大学に集まる。
そういうのが本当の大学かもしれませんが、私の時代は多様な人たちが大学にいたような気がします。
センター試験にも英語のリスニングがあるそうですね。
私なんかそれで終わり。
自分の得意分野を活かそうと大学に進もうとするのに、自分の不得意な分野で落とされる。
何か変じゃないですか。
最近の子どもは早くから塾通い。
子どももかわいそうですけれど、親たちの経済負担も大変なものだと思います。
私たちが住まいの相談を受けるとき、予算が足りないという話はよくあります。
でも、子どもは塾通い、大きな車を複数台所有なんか聞くと、世の中、お金の掛け方が少しおかしくなっているのじゃないかと思います。
もう一度センター試験に話を戻しますが、センター試験は最低限の知識があるかどうかのチェックだけで良いのではないでしょうか。
先ほども書いたように、自分の得意分野を活かしたいのに、不得意分野の克服に時間を割くのはいやなことはないのでしょうか。
こんな教育制度を考える官僚の人たちは、優秀な大学の合格をめざし、それに打ち勝って望んだ地位を得た人かも知れませんが、最低限の知識は得るけれど、自分のやりたいことに力を注ぎたい人が、プレッシャーを感じずがんばれる教育の場を作ってほしいと思います。
企業にとって従順で優秀な人材を作ることももちろん必要かもしれませんが、日本の将来を考えると、違った意味で優秀な人材をつくることも必要だと思います。
最近の教育制度はそういう人材を作るどころか、殺してしまうような制度ではないかと思います。
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私の大学入試は今から40年前のこと。そんなに古い記憶でもなく、学生のころの思いを持ち続けている自分にとっては懐かしい記憶です。
最近の受験を見て、つくづく最近の高校生はかわいそうだなと思っています。
私たちのころは、入試試験は一発勝負。
センター試験のように広く浅く勉強をしなくても、大学に入る道はありました。
しかし、最近ではいくつもの山を越えないとゴールに届かない。
あちこちでふるい落とされて、やっとこさ大学に入れる。
その結果、まじめで従順で、平均的に優秀な人たちが大学に集まる。
そういうのが本当の大学かもしれませんが、私の時代は多様な人たちが大学にいたような気がします。
センター試験にも英語のリスニングがあるそうですね。
私なんかそれで終わり。
自分の得意分野を活かそうと大学に進もうとするのに、自分の不得意な分野で落とされる。
何か変じゃないですか。
最近の子どもは早くから塾通い。
子どももかわいそうですけれど、親たちの経済負担も大変なものだと思います。
私たちが住まいの相談を受けるとき、予算が足りないという話はよくあります。
でも、子どもは塾通い、大きな車を複数台所有なんか聞くと、世の中、お金の掛け方が少しおかしくなっているのじゃないかと思います。
もう一度センター試験に話を戻しますが、センター試験は最低限の知識があるかどうかのチェックだけで良いのではないでしょうか。
先ほども書いたように、自分の得意分野を活かしたいのに、不得意分野の克服に時間を割くのはいやなことはないのでしょうか。
こんな教育制度を考える官僚の人たちは、優秀な大学の合格をめざし、それに打ち勝って望んだ地位を得た人かも知れませんが、最低限の知識は得るけれど、自分のやりたいことに力を注ぎたい人が、プレッシャーを感じずがんばれる教育の場を作ってほしいと思います。
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2015年01月17日
住宅の耐震化
阪神大震災から今日で丸20年。もうそんなになるのかと思います。
大津市も震度5で揺れ、大きな揺れに驚きましたが、何よりテレビの映像から入ってくる阪神地方の大きな被害に非常に驚きました。
現在、神戸では震災があったことが感じられないほど復興していますが、その後も中越地震や東北大震災など大きな地震による被害に日本列島は襲われています。
今後どの地域でも、大きな地震に遭遇すると考えなければならないでしょう。
毎年、この時期になると住宅の耐震化の話がされます。
私も、耐震診断を依頼されることが多く、耐震診断をしながら、テレビなどで放送されるないように少し疑問を感じることがあります。
今朝も、住宅の耐震化が進んでいないことの理由として「自分たちの地域にはそんなに大きな地震が起こらないだろうと考えている人が多い」ような発言がありました。
でも、それはあたっていないと思います。
大地震はもともとそんなに頻繁に起こる(自分の住んでいるところで/日本全体ではない)ものではありません。
だから、「自分たちの地域にはそんなに大きな地震が起こらないだろうと考えている」のは決して間違いではありません。
住んでおられる方々は、それでも被害にあうのは怖い。できれば耐震化したいと思っておられることがほとんどです。
それでも耐震化工事ができないのはお金の問題に尽きると思うのです。
住宅が社会構造の変革で、子孫に引き継がれなくなってきています。
そんな中で古い住宅にお金をかけて直しても価値がないという思いが耐震化をしない行動につながっているのです。
住まいの耐震化率は数字的にはかなり進んでいます。
でも、それは耐震化が進んだというより、古い住まいが壊されて新しい住まいに改築されただけであって、昔からすみ続けている住まいがそのまま耐震化された結果ではありません。
ですから、いま耐震化されていない住まいの耐震化率をさらにあげることはかなり難しいと思います。
耐震化して次の世代に住まいを引き継ぐ仕組みがない限り、残っている建物の耐震化は少しぐらいの補助金を出しても換わらないでしょう。
また、建物の耐震基準が昭和56年以前と以後との違いが話題になります。
大きくは間違っていませんが、昭和56年以前の建物でも考え方を分けなければなりません。
私の思いでは、56年以前の建物でもかなり古い田舎だちの建物は梁、柱もしっかりしていてそんなに弱くないと思います。
同じ56年以前の建物でも、高度経済成長に乗っかり、住宅メーカーがお金儲けのために作った建物は良くないものが多いと思います。
結局、基準が古いかどうかよりも、建物の基本を守って建てているか、無理をした建物でないか、建物の維持管理がしっかりなされているかが重要だと思います。
戦前に建った建物でもしっかりした建物は少し手を入れれば充分耐震性の高い建物に改修することは可能です。
でも、いい加減に作られた建物や維持管理が悪い建物は、いくら耐震性能を上げようとしても難しいケースが多いと思います。
さらに、昭和56年以後の建物でも気をつけなければならないことがあります。
平成12年ごろに耐震基準は変更されています。
昭和56年から平成12年の間に建てられた建物は、耐震性はグレーと考えたほうが良いと思います。
耐震性においてプランに無理のあるもの、申請のときと図面と実際建っている建物が違う場合など、基準変更後かどうかということだけで判断するのは非常に怖いケースがあります。
同じように、平成12年以後に建てられた建物でも、申請図面と違う建物は要注意です。
申請図面と実際の図面が違うということは、それの建設にかかわった関係者が順法意識がないというケースが良くあります。
テレビでいろんな報道がされますが、あくまでそれは一般論と考えてください。
それぞれ個別のチェックで安全性を判断しないと被害にあう可能性があると考えてください。
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今後どの地域でも、大きな地震に遭遇すると考えなければならないでしょう。
毎年、この時期になると住宅の耐震化の話がされます。
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今朝も、住宅の耐震化が進んでいないことの理由として「自分たちの地域にはそんなに大きな地震が起こらないだろうと考えている人が多い」ような発言がありました。
でも、それはあたっていないと思います。
大地震はもともとそんなに頻繁に起こる(自分の住んでいるところで/日本全体ではない)ものではありません。
だから、「自分たちの地域にはそんなに大きな地震が起こらないだろうと考えている」のは決して間違いではありません。
住んでおられる方々は、それでも被害にあうのは怖い。できれば耐震化したいと思っておられることがほとんどです。
それでも耐震化工事ができないのはお金の問題に尽きると思うのです。
住宅が社会構造の変革で、子孫に引き継がれなくなってきています。
そんな中で古い住宅にお金をかけて直しても価値がないという思いが耐震化をしない行動につながっているのです。
住まいの耐震化率は数字的にはかなり進んでいます。
でも、それは耐震化が進んだというより、古い住まいが壊されて新しい住まいに改築されただけであって、昔からすみ続けている住まいがそのまま耐震化された結果ではありません。
ですから、いま耐震化されていない住まいの耐震化率をさらにあげることはかなり難しいと思います。
耐震化して次の世代に住まいを引き継ぐ仕組みがない限り、残っている建物の耐震化は少しぐらいの補助金を出しても換わらないでしょう。
また、建物の耐震基準が昭和56年以前と以後との違いが話題になります。
大きくは間違っていませんが、昭和56年以前の建物でも考え方を分けなければなりません。
私の思いでは、56年以前の建物でもかなり古い田舎だちの建物は梁、柱もしっかりしていてそんなに弱くないと思います。
同じ56年以前の建物でも、高度経済成長に乗っかり、住宅メーカーがお金儲けのために作った建物は良くないものが多いと思います。
結局、基準が古いかどうかよりも、建物の基本を守って建てているか、無理をした建物でないか、建物の維持管理がしっかりなされているかが重要だと思います。
戦前に建った建物でもしっかりした建物は少し手を入れれば充分耐震性の高い建物に改修することは可能です。
でも、いい加減に作られた建物や維持管理が悪い建物は、いくら耐震性能を上げようとしても難しいケースが多いと思います。
さらに、昭和56年以後の建物でも気をつけなければならないことがあります。
平成12年ごろに耐震基準は変更されています。
昭和56年から平成12年の間に建てられた建物は、耐震性はグレーと考えたほうが良いと思います。
耐震性においてプランに無理のあるもの、申請のときと図面と実際建っている建物が違う場合など、基準変更後かどうかということだけで判断するのは非常に怖いケースがあります。
同じように、平成12年以後に建てられた建物でも、申請図面と違う建物は要注意です。
申請図面と実際の図面が違うということは、それの建設にかかわった関係者が順法意識がないというケースが良くあります。
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2015年01月14日
お化粧
毎朝、京都新聞の「窓・読者の声」を楽しみに読んでいます。
いろんな考え方が書かれていますが、至極当然の意見がほとんど。
でも、社会はそんな声と正反対の方向に動いていきます。
今朝の記事には18歳の高校生の声として「なぜみな化粧をするのか」というのがありました。
その文書の中には友達はみな大学生になるから化粧品をそろえたとか、なぜ化粧をするのかという問いかけに、エチケットだという一言をもらったとか書かれていました。
最後に、「化粧ばかりしていると自分を見失いそうで怖い」と書かれていました。
現代の社会の問題を鋭く突いていると思います。
みなが良いと思うこと、みながやっていることは正しいこと、そんなことに対し深く考えないという社会に疑問を投げかけているのだと思います。
住まいのデザインも同じ。デザインというほどすばらしいものなら良いのですが、最近の流行で物をいう人が多い。
流行を進めるとよく売れるからさらにそれがはやる。
庇のないシンプルな家と言えば聞こえが良いが、冷静に見ると倉庫のような家。
雨が多く、夏の太陽高度が高い日本に適合しない家がもてはやされていたり、内部ではリビング階段、土間納戸など、お客さんが望まれる中身はほとんど予測される範囲ばかり。
他人の住まいや雑誌を参考にするのも良いけれど、まず、自分の生活をよく見つめなおした住まいを建ててほしいと思います。
どんなことでも多くの人がやっていることは良いことみたいな考え方が社会をおかしくしなければ良いなと記事を読みながら思いました。
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でも、社会はそんな声と正反対の方向に動いていきます。
今朝の記事には18歳の高校生の声として「なぜみな化粧をするのか」というのがありました。
その文書の中には友達はみな大学生になるから化粧品をそろえたとか、なぜ化粧をするのかという問いかけに、エチケットだという一言をもらったとか書かれていました。
最後に、「化粧ばかりしていると自分を見失いそうで怖い」と書かれていました。
現代の社会の問題を鋭く突いていると思います。
みなが良いと思うこと、みながやっていることは正しいこと、そんなことに対し深く考えないという社会に疑問を投げかけているのだと思います。
住まいのデザインも同じ。デザインというほどすばらしいものなら良いのですが、最近の流行で物をいう人が多い。
流行を進めるとよく売れるからさらにそれがはやる。
庇のないシンプルな家と言えば聞こえが良いが、冷静に見ると倉庫のような家。
雨が多く、夏の太陽高度が高い日本に適合しない家がもてはやされていたり、内部ではリビング階段、土間納戸など、お客さんが望まれる中身はほとんど予測される範囲ばかり。
他人の住まいや雑誌を参考にするのも良いけれど、まず、自分の生活をよく見つめなおした住まいを建ててほしいと思います。
どんなことでも多くの人がやっていることは良いことみたいな考え方が社会をおかしくしなければ良いなと記事を読みながら思いました。
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2015年01月12日
都市から地域へ?
今、報道ステーションで、都会から地方に住み替える人が4年で2.9倍になったと言っていました。非常に良いことですが、単純に喜んでよいのでしょうか。
倍率のマジックみたいなことを考えなければなりません。
都会から地方へ住み替える人が4年前すごく少なく、例えば5名だったとしましょう。約3倍になったから、今年は15名になり10名増えたことになります。
一方、地方から都市部に住み替える人は、その反対より極端に多く、100名ぐらいいたとします。4年前、地元で就職していたが、都会へ出る人が増え、その数が1.2倍になったとします。どうでしょうか。結局、20名の人が都会へ出ることになり、地方の人口は減ってしまいます。
若者が地方での生活に目を向けるようになったのは嬉しいことですが、その何十倍もの人たちが、地方から都市へ流出しています。
マスコミにありがちなことですが、あるひとつの事象を捉えて報道したりするのですが、都会の生活に嫌気がさして地方に住み替える人の例を挙げるより、本当は自分の生まれたところで生活したいのだけれど、就職口がなくて都会へ出ざるを得ない問題をもっと取り上げないければならないと思います。
日本の木材を使い、伝統的な技法を使って作る住まいも同じです。
こんな住宅事情でも、田舎暮らしをして伝統構法の家に住む人やそれを作るつくり手の話がよく取り上げられますが、本当は、ごく普通の人がごく普通に日本の木材を使って丁寧に家を作れない理由は何なのかを考えなくてはなりません。
あまりこだわりの住まいばかり紹介しても、自分にはまったく関係がないということになってしまいます。
住まいは社会の構造と密接な関係があります。
社会構造が変わらない限り、日本の大工技術は金持ちの道楽でしか使われなくなってしまうでしょう。
マスコミは面白そうな話を取り上げることより、物事の本質を突いた報道をしてほしいものです。
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若者が地方での生活に目を向けるようになったのは嬉しいことですが、その何十倍もの人たちが、地方から都市へ流出しています。
マスコミにありがちなことですが、あるひとつの事象を捉えて報道したりするのですが、都会の生活に嫌気がさして地方に住み替える人の例を挙げるより、本当は自分の生まれたところで生活したいのだけれど、就職口がなくて都会へ出ざるを得ない問題をもっと取り上げないければならないと思います。
日本の木材を使い、伝統的な技法を使って作る住まいも同じです。
こんな住宅事情でも、田舎暮らしをして伝統構法の家に住む人やそれを作るつくり手の話がよく取り上げられますが、本当は、ごく普通の人がごく普通に日本の木材を使って丁寧に家を作れない理由は何なのかを考えなくてはなりません。
あまりこだわりの住まいばかり紹介しても、自分にはまったく関係がないということになってしまいます。
住まいは社会の構造と密接な関係があります。
社会構造が変わらない限り、日本の大工技術は金持ちの道楽でしか使われなくなってしまうでしょう。
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2015年01月07日
東証株急落
今朝の新聞記事を見ると東証急落円安と書いてあります。
原油価格の下落が原因とあります。原油が安くなることは日本にとって良いことなのですが、世界情勢に脚を引っ張られるということですね。
こんなことを見ていると、円高、円安、株高、株安などを考慮して経済を活性化させようとすることは不可能なんじゃないかと思います。円安で、輸出企業を中心に株価が上がると思っていたらこのありさま。
円安だから原材料の価格が上がると思えば、原油に関しては他の思惑で下がり気味、そりゃ嬉しいことだと思っていたらそれが影響して株安に。
結局のところ、小手先の対策をとっても、世界的に見ればあまり意味がない。それより、国内での生産、販売、研究などに力を入れなければならないのではないでしょうか。
政府に景気を高揚させることを期待するのも必要なことですが、国民が少し高くても良いものを買う。国内の企業もそれを見越して落ち着いた生産、販売を行うということも必要でしょう。
少し前に松下電器が国内生産を増やすことなどが報じられていました。企業の思惑だとは思いますが、他国の経済力があがり、安い労働力を求めたり、大量販売を当てにした海外販売などから少し脱却できないものかと思います。
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円安だから原材料の価格が上がると思えば、原油に関しては他の思惑で下がり気味、そりゃ嬉しいことだと思っていたらそれが影響して株安に。
結局のところ、小手先の対策をとっても、世界的に見ればあまり意味がない。それより、国内での生産、販売、研究などに力を入れなければならないのではないでしょうか。
政府に景気を高揚させることを期待するのも必要なことですが、国民が少し高くても良いものを買う。国内の企業もそれを見越して落ち着いた生産、販売を行うということも必要でしょう。
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2015年01月04日
iphone or Android
皆さん、開けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
スマホの世界では、各社からiphoneが発売されるようになりました。昔からデザイン系の仕事をするならMACと言われたりしていましたが、何か流行と型にはめられているような気がしてアップルは避けていました。
WindowsやAndoridなどは汎用性があるけれど、各社によっていろいろ微妙な違いがあり、思うようにいかないところもあります。
年末にかけて二つの経験をしました。
一つはSeekという温熱状態がカメラで写せるAndroidカメラ。こちらはAndroid対応なので、Android系のスマホならすべて使えるかと思いましたが、自分のカメラはうまく使えましたが、嫁さんのスマホではうまく使えず。特に日本のAndroid系のスマホは世界的に見るとおいていかれているような気がしました。(ひょっとしてAndroidのバージョンの問題かもしれませんが)
二つ目は、コンピュータの問題。毎年、年賀状を自家製で作るのですが、色が綺麗に出せない。何とかしようと写真の色を補正しても、画面の色とプリンターで打ち出されるものとが合わない。昔から言われていましたが、ひょっとしてMACなら簡単にできるんだろうかと思ったりしました。
そんなことを考えながらも、PCはWindows、スマホはAndroidかなと思っています。
先にも書きましたが、誰もがiphoneという感じがどうも好きになれないのです。
大衆の機械というより、おしゃれな道具、いろんなことができなくてもデザインが好きだなどという感じがどうも好きになれません。
道具は使えて何ぼという感じです。しかもそこそこ安い値段で。
最近ではiphoneなども安くなり、MACでもいろんなことができるようになってきたようです。
でも、私にとってはまだ、MACはいろんなことができない不自由な機械という感じです。(特に仕事において)
いつまでもかどうかわかりませんが、当分の間、WindowsやAndroidを使っていくと思います。
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WindowsやAndoridなどは汎用性があるけれど、各社によっていろいろ微妙な違いがあり、思うようにいかないところもあります。
年末にかけて二つの経験をしました。
一つはSeekという温熱状態がカメラで写せるAndroidカメラ。こちらはAndroid対応なので、Android系のスマホならすべて使えるかと思いましたが、自分のカメラはうまく使えましたが、嫁さんのスマホではうまく使えず。特に日本のAndroid系のスマホは世界的に見るとおいていかれているような気がしました。(ひょっとしてAndroidのバージョンの問題かもしれませんが)
二つ目は、コンピュータの問題。毎年、年賀状を自家製で作るのですが、色が綺麗に出せない。何とかしようと写真の色を補正しても、画面の色とプリンターで打ち出されるものとが合わない。昔から言われていましたが、ひょっとしてMACなら簡単にできるんだろうかと思ったりしました。
そんなことを考えながらも、PCはWindows、スマホはAndroidかなと思っています。
先にも書きましたが、誰もがiphoneという感じがどうも好きになれないのです。
大衆の機械というより、おしゃれな道具、いろんなことができなくてもデザインが好きだなどという感じがどうも好きになれません。
道具は使えて何ぼという感じです。しかもそこそこ安い値段で。
最近ではiphoneなども安くなり、MACでもいろんなことができるようになってきたようです。
でも、私にとってはまだ、MACはいろんなことができない不自由な機械という感じです。(特に仕事において)
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2014年12月23日
豪華なトイレ
今、テレビで「すご過ぎるトイレ」というのをやっています。
イオンのどこかの店の超豪華なトイレのようです。そんなトイレがイオンのカードを持っていたら、30分間無料で使えるそうです。化粧直しなどにも使えるとのことです。
こんなのを見ると、そこへ行ってトイレを使えば得をすると思うかもしれませんが、よく考えて見ましょう。トイレですから清潔なものであること、使いやすいものであることは重要なことなのですが、それ以上の豪華さは必要なことでしょうか。何より、その豪華なトイレを作る費用は誰が負担しているのでしょう。
イオンで販売しているものは他から比べて安いから良いのだという人もいるかもしれませんが、結局、無駄なものを作った費用はいつか回りまわって自分に帰ってくる。今の日本の借金がそのやり方で増えたものではないでしょうか。
国民にとって一番得なこと。それは無駄なことにお金を使わず、国民が協力し合って自分の得意分野でがんばるということです。
そんな理想どおりにことは進まないということはわかっていますが、お金をどんどん使い、気持ちよくなることだけが幸せであるはずがありません。極端に言えば、誰かを不幸せにして自分が少しの幸せを得るだけです。
100円均一の製品も同じですね。そこそこの費用で便利なものが手に入る。でも、その値段で物が売られると、本当に良いものが売れなくなり作れなくなる。でも本当に良い商品は高いものなのです。それで人は本当に幸せを今後も得ていけるのでしょうか。
ニトリが「お値段以上」という宣伝をしています。
確かにその通りでしょう。
もう少しおしゃれなところでいえばキッチンのイケア。
でも、人がそういったことを追求するとどういうことになるのか。日本が高い技術力を持ちながら、一部の部分を除き三流の製品しか作れなくなっているのでしょう。
たかがトイレ、せっかく豪華なトイレが無料で使えるので良いじゃないかという人も多いと思いますが、いろいろと考えてしまいました。
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イオンで販売しているものは他から比べて安いから良いのだという人もいるかもしれませんが、結局、無駄なものを作った費用はいつか回りまわって自分に帰ってくる。今の日本の借金がそのやり方で増えたものではないでしょうか。
国民にとって一番得なこと。それは無駄なことにお金を使わず、国民が協力し合って自分の得意分野でがんばるということです。
そんな理想どおりにことは進まないということはわかっていますが、お金をどんどん使い、気持ちよくなることだけが幸せであるはずがありません。極端に言えば、誰かを不幸せにして自分が少しの幸せを得るだけです。
100円均一の製品も同じですね。そこそこの費用で便利なものが手に入る。でも、その値段で物が売られると、本当に良いものが売れなくなり作れなくなる。でも本当に良い商品は高いものなのです。それで人は本当に幸せを今後も得ていけるのでしょうか。
ニトリが「お値段以上」という宣伝をしています。
確かにその通りでしょう。
もう少しおしゃれなところでいえばキッチンのイケア。
でも、人がそういったことを追求するとどういうことになるのか。日本が高い技術力を持ちながら、一部の部分を除き三流の製品しか作れなくなっているのでしょう。
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