› 三和総合設計 木の住まいブログ › 女性建築士のひとりごと(陽子)

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Posted by 滋賀咲くブログ at

2012年09月08日

井戸端会議をしよう

今日は、朝から檀家の墓掃除。
暑いけど曇り空。ずいぶん助かりました。
墓掃除は単なる墓掃除だけではない。
地域の人との交流の場でもあるのです。

あちこちで花咲くおしゃべりも大事なこと。
いつもはいろいろ用事があって急いでいるので、おしゃべりもそこそこに帰ってくるのですが、今日はいつもより少しだけ腰をすえて、私もおしゃべり。
もちろん、掃除の手を動かしながら・・・・(イヤ止まってたかもしれん・・・笑)

話をしながら、やっぱり大切にしていかないといけないなぁと思うことがいっぱい。
暮らしをちゃんと支えていくのは、やっぱり地域であり、人とのつながり。

近所のおばちゃんのグチだってなんだって、聞いたり話したりすることがつながりと新たなパワーを生むのだ。

バタバタした生活をしていると、こういうつながりが面倒だったり、邪魔くさかったりすることもあるのでしょうが、これがあってこそ、地域の力も大きくなるような気がします。

もっと井戸端会議しようよ!って呼びかけたい気分。
(今日は墓端会議だったけどface03
おばちゃんのおしゃべりは、決して無駄ではないぞ。


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Posted by 三和総合設計 at 15:39Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年09月05日

物々交換の暮らし?

朝晩はずいぶん過ごしやすくなりましたが、まだまだ日中は、暑いですね。
夏の終わりを知らせるつくつくぼうしの声もちょこっと聞きましたが、ぱったり。。。。
どこにいっちゃったんだろう。
夜のお月様はいつのまにか秋の大きさに。
少しずつ季節は進んでいるようですが、どことなく違う感じがしてなりません。

さて、世の中も何か・・・・

消費税があがるから・・・とか、かけこみ需要が・・・とかで既に大手住宅メーカーは動き始めているという話。
へぇーっこんな時期から?って、他人事のように見てるのですが。。。。
今朝の新聞では、Sハウスさんのにせ建築士さん発覚の記事。
普通の設計事務所なら、そんなこと発覚したら、はいお終い。なんでしょうが、大丈夫なんですよね。
信頼も落ちないんでしょうね。
なんでやねん!
不思議な世の中です。

一昨日の夜、そして昨日の夜と仕事とは関係ない方々とお話する機会がありました。
お話のお相手は、両晩とも地域の力をつけていこう!まっとな社会に!と思っている方々。
信頼おける人たちとの暮らしが成り立っていったら、物々交換で暮らしていけるかもね。
お互いの労力や思いやりの交換。
そうしたら消費税なんて関係ない暮らしできるかも!?
なーんて言う話をしてました。

そんなんありえへーん!と思っている方、そんな夢見たいな暮らし実現不可能やと思っている方がほとんどでしょうが・・・・

でも望みは捨てない!と思っている
気持ちのいい仲間が少なからずいてるのです。

その仲間に加わって、私たちも行動していきたいなぁと思っています。

その行動のひとつで、9月16日(日)から毎月第三日曜日に三井寺で
オーガニックマーケットしが&つながるつながるマーケットを開催します。


人と暮らしのつながりを見直し、地域の自立に向けて、地産地消の循環型社会に変えていこう!
食べ物はもちろん、暮らしで使う道具、子供が遊ぶおもちゃ、暮らしの拠点になる住まい、毎日着る衣服、暮らしに必要なエネルギーなど、暮らしに関わる様々なものを丁寧に作り、丁寧に使う。壊れたら自分で直したり、直してもらったりして少しでも長く使う。
このマーケットでは、そんな暮らしの輪をつなげていきたいと思っています。

HPはコチラ→https://sites.google.com/site/tunagaru2/
ブログはコチラ→http://tunagaru2.shiga-saku.net/


一気に社会の仕組みが変えられるわけはないけれど、地味でも地道にちゃんとした思いで続けていきたいという仲間が集まって開催します。
普通の手づくり市やクラフト市とは、ひと味違うマーケットに、ぜひ、お越しください。

目指せ!物々交換の社会!(笑)



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Posted by 三和総合設計 at 17:29Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年08月30日

ちょっと散策


先週末、講師のための講習を受けに大阪へ。
大阪と言っても、大阪市ではなく吹田市。
ちょっとだけ滋賀県寄りですが、何度かの乗り換えがあったりしてちょっと不便。。。。

会場の最寄の駅は岸辺駅というところ。
地名は岸部なのに駅の名前は岸辺・・・
この駅で降りたのは初めて。駅名も知らんかったしface03
駅は今どきの駅って言う感じ?


長い連絡通路を通って、お店などが見える駅前とは反対側に出ます。
なーーーんにもない・・・・広々~です(笑)

会場まで20分弱くらい歩かないといけないので、メイン通りを歩くのはつまらん!と思い、裏道へ。
細い道がくねくねとつながっています。
(本当に細い路地が続いているのです。。。)

道は細いけど、周囲を見ると立派なお屋敷がアチコチに。

長屋門付きです。
ここは旧中西家と書かれていて、文化財になっているみたいです。
時間がないので、中を見ることはできませんでしたが、住まいとしては必見ものだったかも。



ご神木の立派な木もあるし・・・
(人目があるので、写真が撮りにくくて・・・いけてない写真でごめんなさい。)

ここって、結構歴史ある街?

でも一方で、土地を細かく分割して分譲されたような家も混在。
長屋住宅も結構あるしなー。
うーーんどう表現したらいいのかわからないけど・・・ごちゃごちゃって言う感じ?

もしかしたら、もっとあった大きなお屋敷の土地が、いろいろな時勢で分割されていったのかな。。。
と思いつつ、会場までの道をのらりくらりと歩いて往復していました。
家に帰ってからちょっと検索したら、こんなのを見つけました。
岸部の歴史

やっぱり・・・ね。
このサイトにあるような町並みが続いているのですが・・・ちょっと向きを変えると違う町並みが・・・
本当に混在している感じで、複雑な気分になります。

駅からタクシーでビューーーンと行ってたら、気がつかなかったこと。
ジリジリとお日さまに照らされて歩くのは、ちょっとつらかったけど、知らなかったことを知ることができてよかったかもしれません。

やっぱり歩くもんですな(笑)

日頃、歩くことを忘れているような生活・・・ホンマに見直さないといけません。

そして、歩く人がホッするような町並みをつくらないといけないと思いました。

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Posted by 三和総合設計 at 13:47Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年08月23日

暑いですね。

暑い、暑いicon10
言いたくないけど暑ーいicon10

いつまで続くのでしょうね。。。。。

こんな暑いさなかですが、今度の日曜日にまたイベントをやります。
年4回開催している「仰木里山 暮らしの木工市」です。

暮らしの中に少しでも木を取り入れてもらいたい。
そんな思いで、びわこ南部材・家と暮らしの会のメンバーで、やり続けています。

よかったら、今までの様子や今度のお知らせは、
コチラのブログを見てください。→ 

そうそう、このイベントは、いつもなら美味しいものもあるのですが、なんせこの猛暑。
食べ物は要注意なので、お休みすることにしました。
なので、水分補給、はらぺこ補給は、準備万端でお願いします。

日中はたまらないほど暑いけど、夜は虫の鳴き声もちょっと聞こえるようになってきました。
季節は、半歩ずつイヤそれ以下かもしれないけど、間違いなく進んでいるようです。
頑張って乗り切りましょう!

あっ、そう言えば私・・・
イベント前の二日間は、講習で缶詰になるのでした。。。
住宅省エネルギーの地域リーダー講師のための講習。
ひょんなことから地域リーダーにと仰せつかり、引き受けることになりました。
この暑さの中、耐えられるかな。
イヤイヤそんなこと言ってられない。
本業も頑張らねば!ね。



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Posted by 三和総合設計 at 14:22Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年08月16日

義父のシベリア

今日でお盆の行事も終わり。
塔婆を持ってお墓参り。
ちょっと早い時間ですが、ご先祖様をお墓までお見送りしてきました。

お墓参りに出た足で、大津歴史博物館で展示されている「シベリア抑留の記録」を見に行ってきました。
ずっと前に新聞記事で見つけて、義父を連れていってあげたら喜ぶかなーと思いつつ、なかなか時間がとれないので言い出せなかったのです。
でもまたつい先日、記事に取り上げられ、19日までと書かれていて、お盆も開館している様子。
それならと義父に今日声をかけたら、「行く!」とのこと。

シベリアから満州に抑留され、中国からやっと帰国できたのは、昭和28年。
従軍看護婦で満州にいた義母と義兄と3人で帰ってきたそうです。
シベリアから脱走したとか、偽名を使っていたとか、病気で死にかけていたけど何故か助かったとか、いろいろな話を断片的には聞いていたのですが・・・
どこまでが本当の話で、どんな風に話がつながっているのか、さっぱり。
90歳になった今となっては、聞いても余計に話がややこしくなるばかり。

展示は思っていたよりとても少なくてちょっと残念だったのですが、なんとなく仲間に出会えた気分になったのか、嬉しそうな義父でした。
昔の地図を見ながら、ここにいたんやーとか話していると、展示を食い入るように見られていた女性が、「シベリアにおられたんですか?」と話しかけてこられました。

熊本から見に来られたというその女性のおじいさまもシベリアで捕虜となり、命からがら帰ってこられたようなのです。
でも、シベリアでの出来事は一切話さずにずいぶん前に亡くなられたそうです。
その女性が中学生の頃に勉強で戦争の話を聞かせてとおじいさまにお願いしたら、楽しかったという話しばかりだったそうです。でもその話す間、ずっとおじいさまの手は震えていたそうです。
子供ながらに相当なつらい思いをしてきたんだなと察したとお話されていました。

シベリアで捕虜となった方々の多くは、当時のことをあまり語らない方が多いようですね。
そんな悲惨な経験をされた方々も既にお亡くなりになっている方も多いので、なかなか真実はわかりにくい。

幸い、義父は90になっても自分の足で歩いて、ひとつひとつの展示をじっくり見ることもできています。
行き帰りの車の中で、どんな風だったかあれこれ聞いてみましたが、やっぱりいまひとつつじつまが合わない。。。
それでも新たにわかったことがいくつか出てきました。

シベリアで捕虜になって、命からがら脱走してきた。と思っていたのは間違いでした。

満州とシベリアの境界沿いのシベリア側で捕虜になったようですが、病気になり満州に送り返された。
満州に戻されたらいつの間にか病気はなおり、中国の炭鉱へ労働者として送られた。
炭鉱で働くことは地獄へやられるのと同じと思い、3,4人で脱走した。
でもすぐ見つかって連れ戻された・・・。

えっ、そうやったん!?
シベリア脱走なんて、映画みたいなすごい大それたことをやらはったんやとばっかり思っていたのに。
ちょっと拍子抜けして主人と苦笑。
(笑い事ではないのですが・・・・)
今まで聞いていたこととかなり違っていました。

でも今までに聞いている病院で死に掛けていたこと、義母との出会い、偽名を使っていた理由などとの関係がもうひとつわからない。。。時系列もあいまいで。。。
なにが本当か・・・やっぱりわからない。

90となった今となっては、普段の生活も物忘れのオンパレードでまともに進まない状況なので、真実を聞き出すのはちょっと難しそうです。

とにかく、かなりの苦労をしたのは確か。
歴史博物館で出会った女性に「ほんまによー生きて帰ってこれたなぁとつくづく心底思いますわ」と言っていた義父。

戦争が思い出のひとつなんて、本当につらいものですよね。
戦争を知らずに生きている自分は、本当にしあわせなのだと思います。

戦争は絶対にしてはならない。
真実はこれしかないと心から思います。

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Posted by 三和総合設計 at 13:53Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年08月12日

バランス


おはようございます。
今朝は曇り空。番犬「壱」との早朝散歩もほどほどの暑さでした。
めきめきと成長して、キラキラ緑輝く田んぼの稲。
そのエネルギーをうらやましく眺めながら歩いていました。

ちょっとマシ?になっていた腰痛。
なんだか昨日からまた絶不調face07
ホントは朝の散歩もきつかったのです。
だから田んぼの稲がうらやましくてね・・・・。
主人と娘は、疲れた体でもっと早くから仕事に出掛けてくれているので、これくらいの痛みなんか耐えねばと思ってましたが、思う以上の体の悲鳴にちょっと暗くなってしまった朝でした。

さて、気を取り直していろいろなことを頑張らねば!

話は変わりますが・・・最近夏野菜をいただくことがしばしば。
ちょっと前には、まな板を削ってあげたお礼にということで、畑でご自分がつくられた野菜たちをいただきました。

おまけにお手製のシフォンケーキまで!(即消費したので、画像はありませんface03
ちょっとわらしべ長者気味ですが、なんだか物々交換をしたようで・・・・。
でもこんなやりとりが、嬉しい。
(私が削ってあげたわけではないので、自分の労働対価ではないところがちょっとうしろめたいけど)

そして先日広島まで山の木を見に行ったら、施主さんのおばあさまが、丹精込めてつくったキャベツやらナスビやらトマトやらをたんまり・・・・。
おばあちゃんの心がこもっているお野菜は、やさしい味でした。

2,3日前には、工事が始まったばかりのお施主さんから大量のピーマン!?
ちょっとやそこらじゃありません。スーパーの大き目の袋、2枚分が満杯に。
とれたてピーマンの匂いが充満しておりました。

どれもこれも想いの詰まったお野菜たち。
大事に食べたいと思います。


ちょっと心と体のバランスが乱れ気味の自分に、しっかり季節野菜を食べて乗り越せよという神様からの忠告かもしれませんね。

さぁ、がんばろう!


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Posted by 三和総合設計 at 10:39Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年08月09日

今年も・・・

昨日はびわ湖大花火大会でした。
子供が小さい頃は、何度か会場近くまで見に連れて行ったこともありましたが、大きくなってからはもっぱら家で見ています。

ラッキーなことに我が家の2階のリビングの大きな窓のほぼ正面に打ち上げられ、視界をさえぎられる建物もないので、ほぼ完璧に近い状態で眺められます。
今年も居間から花火鑑賞。
主人が会議で出掛けていたので、娘と2人で窓を開け放ってのんびり眺めていました。
(最後のクライマックスまでには主人もなんとか帰ってきて、ギリギリ見られました。)

この花火大会は、確か私が社会人になった頃か、そのちょっと前頃から始まったように覚えています。
とてもとても派手な時もあったり、とてもとても地味な時もあったり。
経済事情も結構反映してますよね。

ここ最近はちゃんと物語があって、それに沿ったプログラムで打ち上げられています。
見てる分には、あまりわかりませんけどね(笑)

いつもは家の照明も全部消して、真っ暗にして見ていますが、昨日はテレビの説明を聞きながら鑑賞。
そこで感じたのは、テレビの花火の色が生と全然違うこと。
かなりの差。
やっぱり生で見ないと、あの美しさはわからないのだなぁと痛感しました。
(テレビと生って同時に見ることないですもんね。)

いつもと違って、昨日の夜はとても涼しい風が心地よく吹いていました。
ひんやりとした風にちょっと秋を感じてしまいました。
こんなことって今までなかったと思うのですが。。。。

毎年花火を見ながら、あー私は今年も見れたんだなぁとしみじみ思います。
そして、夏に空に旅立った友人たちのことも思い出します。

派手なイベント行事は、ちょっと・・・と思いますが、
また、頑張って生きよう!と思う毎夏の風景にちょっと感謝かな。



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Posted by 三和総合設計 at 10:30Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年08月06日

今日は自覚の日

毎日暑い日が続きますね。
テレビでもオリンピックの熱い戦いが繰り広げられ、寝不足になりながらも見入っています。

今朝も朝からオリンピックの話題で持ちきり。
選手の頑張りに賞賛の声をあげてあげたいのは山々ですが、今日は別。
賞賛の声はあとからにしてでもちょっと気持ちを引き締めて過ごしたい一日です。

広島に原爆が投下されて67年。
私たちは、世界唯一の被爆国として、そして未曾有の原発事故が起こった国として、核に対する姿勢を尚一層考えていかなければならない立場にいます。

国の被爆者に対する援助も投下後の黒い雨を浴びた人に対しては、戦後60年経ってやっと認められたようです。でもその範囲もかなり限定的なもの。この雨を浴びた人々はもっと広範囲なのに。
60年経ってやっと、67年経ってもまだなのです。
今も苦しんでいる人がたくさんいるのです。
このことから東北の原発事故に対してはどうなるかと考えると、気の遠くなるような話しなのかもしれないと思ってしまいます。

子供の頃は、毎年行われる夏の広島や長崎の式典は、とても遠い出来事のように感じていました。
原爆投下も戦争も生まれる前の出来事。子供心には昔の出来事だったのです。
でも年を重ねるにつれ、いろいろなことを知ることによって、悲劇的な出来事が起こった日からは月日が経っていくのとは逆に身近な出来事のように近く感じるようになってきました。
追い討ちをかけるように起こった東北の原発の事故。

平和記念式典で小学生の子供たちが言った言葉が心に響きます。

私たちは、同じような悲惨な経験はできないけれど、想像して考えることはできます。
平和な未来は自分たちでつくることができるのです。
(確かこのような内容だったと思います。)

ちゃんと知って、ちゃんと考える。
これにつきるのではないかなと思いました。
自覚は直感と反省の融合したものだそうです。

ちゃんと知って、ちゃんと考える。そして未来につなげる。

少なくとも今日と9日は、オリンピックのことはちょっとおいといて、自覚の日にしたいと思いました。


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Posted by 三和総合設計 at 09:49Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年07月29日

そっと頑張る

毎日暑いですね。昨日の夕方の雨がものすごくて、これでちょっとは涼しくなるかなーと期待したけど、ちょっと期待はずれ。
熱々のフライパンに水を注いだけど、沸騰して終わった・・・そんな感じかな。(例えが悪いか・・・face07

今日はちょっと寝不足。
寝ようと思っているところへ、準決勝やら決勝やらと言われ、ついつい夜更かし。平日はもう少し自重しながら、観戦しないとえらいことになりそうです。

ここのところ暑さも手伝って、体調がもひとつな感じです。
先日はあまりにも左の腰からおしり、足にかけてが痛くて、病院へ。

年がら年中痛いのですが、今回は今まで以上につらい。座るのももちろん寝てるのも痛い。
何度もいくつかの整形外科で見てもらっていますが、
いつも「骨はきれいなもんや!運動しいや!同じ姿勢は避けるように」と言われるだけ。
薬も「痛み止めいる?シップいる?いるんやったら出すよ。」ということなので、「それならいらん・・・」とこれと言った治療も無くそのまま。

こんな感じがかれこれ2年くらいは続いているでしょうか。。。。

今回はかなりひどくて、座ってもいられないし、仕事にも集中できないので、思い切って総合病院へ。
時間がかかるのが嫌で、なかなか行けなかったのですが、痛い(重い)腰をあげて、イザ!

結果は同じ。骨は必要以上にきれい(笑)

で、病名というか症状は「坐骨神経痛」ということで。。。。
当面の痛み止めなどの薬と大量のシップ薬をもらってきました。
薬ってすごいですね。
今のところこの前の状態がうそのようです。
痛みが治まってひと段落したら、これ以上ひどくならないうちに なんとか筋肉くんを鍛えねばいけません。
骨はなんともないということは、運動不足、座りっぱなしの同じ姿勢、そしてストレスが原因?
直るんですか?と聞いたら、デスクワークの人や立ちっぱなしの人は直りにくいけど、直るものではありますよ。と言われたので、なんとか頑張って直したいと思います。
根気がないので、ちと不安ですがface03



事務所前の土間タイルとアスファルトの間に育っている「ど根性ペチュニア」。
少し前から、少しずつ大きくなっています。
なぜか花をめいっぱいつけて・・・。
毎日踏みつけそうになるのをなんとか踏みとどまっています。
(入り口のど真ん中なのです)
水も肥料もないのに・・・・あんたよう頑張るな・・・・
そんな思いで毎日みつめています。
頑張るって、こういうことなのかな。
そっと頑張って生きる。
そっと頑張って花を咲かせる。
そして少ないけどそっと見ていてくれる人がいる。

さぁ、まだまだ暑い日が続きますが、健気にそっと頑張りましょう!(笑)

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Posted by 三和総合設計 at 11:36Comments(0)女性建築士のひとりごと(陽子)

2012年07月23日

先生って何でしょうね。

昨日、今日とちょっと暑さはマシですね。でもなんだか涼しすぎたりもして・・・・気温差が大きいのでなんだか体はだるいまま。
しかも昨日から腰痛がひどくて。座るのも寝るのも痛くて。。。
ままならぬ体に気持ちも滅入りがちです。
あっ、出だしから暗いですね(笑)
なんとか気持ちで乗り切りたいと思います!

朝から、長いこと書いてないし書いてやー!の一声をもらいました。
長いことって・・・・。たった一週間やん。。。という心の一言は置いといて、素直にパソコンに向かうも何を書いてよいのやら。
最近、いろいろ考えすぎて・・・イヤ考え無さ過ぎてかな・・・言葉がでてこない病にかかっています。

なんぞ、ネタはないもんかとパソコンで検索しようかと思うと、大津っていれるだけでキーワードがたくさんでてきます。悪い意味で有名になったもんですね。
その中で、担任の先生の対応についていろいろ言われている記事もありました。

なんかあっても先生なんかあてにしたらあかん。
私は、子供の頃からそんな風に思っています。
頑張って子供のことを一生懸命考えてくださっている先生もたくさんおられるとは思うので、なんか失礼な話かもしれませんが、少なくとも自分が子供の頃の先生、弟や妹の先生、娘たちの先生と今まで経験してきた先生はそんな風に考えざる得ない方が多かったのです。

こんな考えに至った最初の経験は、小学1,2年生のとき。
悪いことはしたらあかん!という当たり前の教えをきっちり守ろうと、誰かが悪いことするたびに先生に注意してもらおうと何度も先生に言いに行っていた私。
子供心に正義を通していたつもりだったのだろうと思うのですが、通信簿に書かれた言葉を見てびっくり。
「告げ口が多く、その割には自分もいたずらを平気でしている。」
確かに悪さもしていただろうし、言い過ぎのところもあっただろうけど、本人には何も言わずに通信簿に書くなんて・・・それはないやろ。
そして、あるときおとなしい男の子とケンカをして、雑巾で顔をたたいてしまって目を充血させたときも、けんかの理由も聞かず、注意もせず、帰りにおかあさんにこれを渡しなさいと手紙を手渡された。
内容は、母に相手の親にあやまりに行ってくださいとのこと。
なんやそれ?悪いことをしたのは私。でもそれに至った理由もあるし。
何もちゃんと聞かずにそれって・・・・。

結構ベテランの女の先生でしたが、先生なんかちっとも偉くないんや。信用できん。と子供心に思いました。

次に3年生のとき。
そこそこ子供たちには人気があった先生だったのですが。。。
あるとき、画用紙が一枚無くなって、先生の犯人さがしが始まった。
正直に言いなさいとクラスのみんなに声をかけても誰も名乗り出ない。
それで、先生は、「これからひとりひとりの顔を見てまわります。先生の目をじっと見られない人が犯人です。」と言い、ひとりひとりの顔を見ていった。
ちゃんと先生の乗りについていける子は、にこにこしながら嬉しそうに先生の顔を見つめます。
私はこういうのが苦手な正確。結果、きっちり目をそらしました。

目をそらした数人が教壇に立たされて、この中に犯人はいますと先生が言う。
そして、ここでは言いにくいだろうから、あとでひとりひとり先生のところに来て、そのときに正直に言ってれくれたら許すと。
断じて潔白の私は、犯人扱いをされて、心の底から怒りがこみあげてきた覚えがあります。

それぞれの子供の性格なんて考えず、一方的な考えで犯人扱いにまでする先生の行動は、許せるものではありません。
自分が小学3年生ではなく中学生、高校生くらいだったら、かなりの抗議、反抗をしていたと思いますが、非力な子供ではなんともできませんでした。
逆にクラスメイトの多くは、私がそんなことをする人間じゃないことをわかってくれていて、後でかなりなぐさめてくれましたが。

他にもいろいろありましたが、この小学低学年の出来事が、その後の先生に対する考えの元になっているような気がします。

あとひとつ、娘の中学の先生で、安定的な生活を送るために、私たちは一生懸命勉強して先生になったのだ。安定した生活を送るための努力をいっぱいしてきたから先生になれたのです。子供たちにもそうやって努力してほしい。と堂々とおっしゃる方がおられました。
これにもびっくり。

こういった先生ばかりではないと思いますが、何故か感覚の違う先生に出会う確率も高いんですよね。
大学を出てすぐに学校と言う閉鎖的な社会の中で仕事をし続けているせいなのかわかりませんが、何か違うんですよね。
この感覚の違いをどうにかしていかないと・・・と思うのですが、そんな風に感じているのは私だけなのでしょうか。

子供どんな風に育てるのかは、基本的には先生ではなく親の責任でしょうが、生活の中の多くの時間を過ごすのは学校なのですから、やっぱり先生は人として信頼できる師であってほしいです。
親がダメでも先生で持ち直せるくらいのチャンスが欲しい。
親がダメで、先生もその後押しでは、子供の心はちゃんと育つことができないでしょうしね。

長くなりましたね。
なんだか私も体と心のバランスがとれていないようで、何を言いたいのかわからなくなってきました。

とりあえず、いろんなことを真実のもとにすっきりさせて、ちゃんとした手立てをしてほしいですね。

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